俺は腕まくり一発、気合いを入れた。 「志貴さん、やる気ですね〜」 琥珀さんが「頼りにしてますよ」と、翡翠と一緒に掃除道具の準備をしている。 と言う事で、朝食後しばらくして、俺はいつもの軽装で居間のソファーに座っていた。 「どうせ、またそのお金でふらふらと遊ぶのでしょう、兄さん?」 まぁ図星と言えば図星。お金には色々換えられないものがあるのだから、許せ秋葉。 「さて……志貴さんの気が変わらない内に始めましょうか? 秋葉様もお仕事を……」 と、ねちっこく続くと思われた秋葉の追求をさらりとかわすように琥珀さん。というより、秋葉も当主としてやらなければならない事がたくさんあるとの事。あまりのんきに出来ないらしい。 「分かったわよ。琥珀はそちらが粗方終わったら手伝いなさい」 と、秋葉は心底嫌そうな顔をして部屋を出た。そりゃそうだろう、年度末の報告やら、一介の女学生には到底扱いきれない書類が山積みなのだから。秋葉の苦労を思えば、俺なんて正直お遊びなんだろう。 「まぁ、今度皆で花見にでも連れて行って、労をねぎらうとするか」 人知れず、そんな事を呟いてみる。 「さて、と。俺達もそろそろ……」 ちょっとだけ冷や汗を感じながら立ち上がろうとした俺を、琥珀さんは制すかのように語り口調になると、 「そうですね……と、言いたいところで、す、が」 琥珀さんから初めて聞かされたバイトの存在に、俺はちょっと驚いていた。 「で、どんな人が来るんですか?」 想像としては、パートのおばちゃんか、ともすれば何でも屋みたいな力仕事のあんちゃんでもと思う。 「秘密ですよ」 そう言った。 「ん? 変なの」 訝しげにしていると、琥珀さんが暢気に言っている側から ピンポーン と、呼び鈴が鳴った。 「来たみたいですね。ちょっと行って来ます」 と、琥珀さんは最後にこちらを見て笑うと、パタパタと玄関の方へ出ていった。 「翡翠は、誰が来るか聞いてる?」 俺は手持ちぶさたになると、後ろに控えていた翡翠に話しかけた。 「ええ……」 翡翠の表情はどことなくおかしみが含まれていて、琥珀さん同様なにか楽しんでいるようだった。 「はい。姉さんとの秘密ですから」 翡翠の言葉に、俺はおうむ返しになる。 「志貴様に……これ以上は私の口からは」 珍しく喋りすぎた、とばかりにはっと口を紡ぐと、翡翠は頬を染めて微笑んでしまった。 「ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」 「ん〜?」 何か聞き覚えのある声。というかこれ…… 「さあさ、お待ちしていましたよ、弓塚さん」 と、琥珀さんに連れられて入ってきたのは、さつきだった。 「おはよう……って、さつきがアルバイトの人?」 俺がまさかと思って訪ねても、あっさりと肯定されて全然答えになってなかった。 「だって、そんな話聞いていない……」 さつきは舌をぺろっと出すと、隣にいる琥珀さんと、俺の後ろにいる翡翠に視線を向け、微笑んだ。琥珀さんもしてやったりの顔で、恐らく翡翠も喜んでいるのだろう。 「やられた……」 確かにさつきも、この間「アルバイト決まったよ〜」と俺に報告はしていたのだが、何をやるかは教えてくれなかったっけ。 「琥珀さん」 俺は楽しそうな琥珀さんを睨め付け聞くが 「めっそうもございません。ただ私は弓塚さんの家の前の電柱だけに、アルバイト募集のチラシを貼っただけですよ〜」 そういきなり言われては、何というか琥珀さん……恐るべしと言った感じだった。 「……さつき」 俺は騙された目を、今度はさつきに向けた。 「え? 私? だって待遇が良かったし、勤務場所も近かったし、それに志貴くんの家だから、志貴くんと会えるといいなー、なんて……」 視線を逸らし、あははとさつきは誤魔化すように言う。 「まぁ、折角ですからお二人ご一緒の方がお仕事も楽しいでしょうし、弓塚さんには普段あまりお越し頂けない分、今の内にお屋敷の隅々まで知っていただきたいですからね。ご一緒に住む事になってからから不都合があっては、使用人としてお恥ずかしいですから。あは〜」 そんな中、さりげなく琥珀さんの言葉は強烈で、 「ちょ、ちょ……」 俺達は揃って真っ赤になってしまった。 「さてさてお二人さん、私の指導は厳しいですよ。頑張って働いてくださいね」 こうして、さつきと一緒の奇妙な大整理が始まった。 それから五日程経ったある日。 「本日もお疲れさまでした」 みんな揃っての夕食。今日はさつきも琥珀さんに押し切られる形で混ざっていて、俺としてはいつも以上に食事が美味しかった。 それでも、ふと廊下ですれ違ったり、たまに同じ部屋で作業をしている時など、さつきの笑顔は俺にとってやる気が出た。たまにお互い「がんばってね」なんて声を掛け合うと、後の作業もはかどった訳で。実はその辺も琥珀さんの作戦か、と思うと、やはり策士と頷いてしまう自分がいた。 「ゴメンね琥珀さん、私の分まで用意して貰っちゃって」 さつきは三つ星レストランも真っ青な料理をいただきながら、嬉しそうに琥珀さんに謝っていた。 「いえいえ、お仕事も順調ですし、お礼も兼ねまして。それに志貴さんの思い人なんですから、これくらいは使用人として当然ですよ〜」 不意の一撃に、さつきの顔がボッと火を噴いた。 「そ、そんな……」 かちゃかちゃとナイフで皿の上に「の」の字を書きながら、ちらりとこちらを見てたまらない表情を見せている。 ガチャン ここに、その状況がまったく面白くない人間が一人いたようで 「兄さん!」 秋葉にぎろりと睨まれると、俺はすくみ上がってしまった。 「琥珀、お客様をからかうのはよしなさい」 秋葉は偉く不機嫌だ。まぁそりゃ、自分は部屋に籠もりっきりで書類を片づけていて、ろくに俺に構って貰えず、さらにその俺がこんなデレデレだったら怒るのもわからんでもない。 「……で、琥珀。弓塚さんのお仕事はいつ頃まで?」 琥珀さん達のやりとりを聞いて、何となく寂しく思ってしまう。一応終わりがあるのかと思うと、ちょっと残念だった。 「もう少し早く終わらせられないの? 弓塚さんだってご自分の予定があるでしょう?」 と、秋葉はぎろりといった鋭い眼光でさつきを睨んだ。まさに鬼姑という言葉がぴったりで、流石のさつきもたじろいだ。 「いえ、私は特に予定はないですから……」 敬語になってる。秋葉は年下なのに。 「それならば……弓塚さん」 ふと向けられた話に、さつきが不思議そうな顔を向けた時だった 「明日から、住み込みでいかがですか?」 「ええっ!?」 琥珀さんのその一言に、声が二カ所からあがっていた。 「ちょ、ちょっと琥珀、何考えてるのよ!」 琥珀にうまく言いくるめられて、秋葉も失言を悔やんでいるようだった。 「ということで弓塚さん、よろしければどうですか?」 さつきは突然の事に迷っているようだったが、琥珀さんはそんなさつきにすすす、と近付いて 「もう少しお願いしたい事もあるんですよ、例えば志貴さんのお世話とか……」 と、全員に聞こえるように耳打ち。 「や、やります……」 そう宣言するさつきに、秋葉は何とも言えない表情。 |