「さて……と」

 俺は腕まくり一発、気合いを入れた。

「志貴さん、やる気ですね〜」

 琥珀さんが「頼りにしてますよ」と、翡翠と一緒に掃除道具の準備をしている。
 
 本日は春休み初日。まぁ普通の学生なら休みを謳歌しているのだろうけど、俺はまず資金稼ぎからだった。
 琥珀さんに何か手伝えないかと交渉したところ、折角だからと屋敷の整理を春休みで行う事となった。今まで手のついていなかった空き部屋など、居住空間以外にも手を出そうと言う事になった。
 そんなこんなで、荷物運びからゴミの分別、ホコリはたきから床掃除まで、この広いお屋敷だから、だいぶ時間がかかるだろうとの琥珀さんの予想も、稼げるなら一向に構わなかった。

 と言う事で、朝食後しばらくして、俺はいつもの軽装で居間のソファーに座っていた。
 仕事は大変かもしれないけど、ちゃんとした対価があるのは嬉しいから、どうしても働いた後を考えてニヤニヤしてしまう。
 しかし、向かいでお茶を飲んでいた秋葉はむすっとしかめっ面。

「どうせ、またそのお金でふらふらと遊ぶのでしょう、兄さん?」

 まぁ図星と言えば図星。お金には色々換えられないものがあるのだから、許せ秋葉。

「さて……志貴さんの気が変わらない内に始めましょうか? 秋葉様もお仕事を……」

 と、ねちっこく続くと思われた秋葉の追求をさらりとかわすように琥珀さん。というより、秋葉も当主としてやらなければならない事がたくさんあるとの事。あまりのんきに出来ないらしい。

「分かったわよ。琥珀はそちらが粗方終わったら手伝いなさい」
「かしこまりました」

 と、秋葉は心底嫌そうな顔をして部屋を出た。そりゃそうだろう、年度末の報告やら、一介の女学生には到底扱いきれない書類が山積みなのだから。秋葉の苦労を思えば、俺なんて正直お遊びなんだろう。

「まぁ、今度皆で花見にでも連れて行って、労をねぎらうとするか」

 人知れず、そんな事を呟いてみる。
 ……酒宴の狂乱になる事は間違いなさそうだが。

「さて、と。俺達もそろそろ……」

 ちょっとだけ冷や汗を感じながら立ち上がろうとした俺を、琥珀さんは制すかのように語り口調になると、

「そうですね……と、言いたいところで、す、が」
「ん?」
「実は今回、流石の志貴さんのお手伝いでも終わらないと踏みまして、アルバイトを募集してあるんですよ」
「へえ〜」

 琥珀さんから初めて聞かされたバイトの存在に、俺はちょっと驚いていた。
 今まで屋敷に関しては翡翠と琥珀さんが一手だったから、これは一仕事になるんだろうと改めて感じる。
 そこで、そのバイトの存在を初めて気になった。

「で、どんな人が来るんですか?」

 想像としては、パートのおばちゃんか、ともすれば何でも屋みたいな力仕事のあんちゃんでもと思う。
 しかし琥珀さんは、ふふふっと着物の袖に手を当てて笑うと

「秘密ですよ」

 そう言った。

「ん? 変なの」
「まぁまぁ、もうすぐいらっしゃると思いますから」

 訝しげにしていると、琥珀さんが暢気に言っている側から

 ピンポーン

 と、呼び鈴が鳴った。

「来たみたいですね。ちょっと行って来ます」

 と、琥珀さんは最後にこちらを見て笑うと、パタパタと玄関の方へ出ていった。

「翡翠は、誰が来るか聞いてる?」

 俺は手持ちぶさたになると、後ろに控えていた翡翠に話しかけた。

「ええ……」
「ふうん、教えて……くれないみたいだね」

 翡翠の表情はどことなくおかしみが含まれていて、琥珀さん同様なにか楽しんでいるようだった。

「はい。姉さんとの秘密ですから」
「秘密?」

 翡翠の言葉に、俺はおうむ返しになる。

「志貴様に……これ以上は私の口からは」

 珍しく喋りすぎた、とばかりにはっと口を紡ぐと、翡翠は頬を染めて微笑んでしまった。
 なんだかそんな反応は許せないなぁ。可愛いのもあるけど、ご主人様を弄んでいるようで。
 とか、そんなやりとりをしている向こうから、玄関で声が聞こえた。

「ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
「おじゃまします……」

「ん〜?」

 何か聞き覚えのある声。というかこれ……

「さあさ、お待ちしていましたよ、弓塚さん」
「はい。あ、志貴くんおはよう」

 と、琥珀さんに連れられて入ってきたのは、さつきだった。
 俺は正直、金魚みたいに口をぽかんと開けてしまった。

「おはよう……って、さつきがアルバイトの人?」
「うん、そうだよ」

 俺がまさかと思って訪ねても、あっさりと肯定されて全然答えになってなかった。

「だって、そんな話聞いていない……」
「うん。琥珀さんが秘密にしてください、って言うから。ゴメンね」

 さつきは舌をぺろっと出すと、隣にいる琥珀さんと、俺の後ろにいる翡翠に視線を向け、微笑んだ。琥珀さんもしてやったりの顔で、恐らく翡翠も喜んでいるのだろう。

「やられた……」

 確かにさつきも、この間「アルバイト決まったよ〜」と俺に報告はしていたのだが、何をやるかは教えてくれなかったっけ。
 まさか、それがこれだとは……

「琥珀さん」
「はい?」
「何か企みました?」

 俺は楽しそうな琥珀さんを睨め付け聞くが

「めっそうもございません。ただ私は弓塚さんの家の前の電柱だけに、アルバイト募集のチラシを貼っただけですよ〜」
「……」

 そういきなり言われては、何というか琥珀さん……恐るべしと言った感じだった。

「……さつき」

 俺は騙された目を、今度はさつきに向けた。

「え? 私? だって待遇が良かったし、勤務場所も近かったし、それに志貴くんの家だから、志貴くんと会えるといいなー、なんて……」

 視線を逸らし、あははとさつきは誤魔化すように言う。
 翡翠をちらりと疑いの目で見る……が、こういう時だけいつもの無表情に戻ってるのはずるいや、翡翠さん。

「まぁ、折角ですからお二人ご一緒の方がお仕事も楽しいでしょうし、弓塚さんには普段あまりお越し頂けない分、今の内にお屋敷の隅々まで知っていただきたいですからね。ご一緒に住む事になってからから不都合があっては、使用人としてお恥ずかしいですから。あは〜」

 そんな中、さりげなく琥珀さんの言葉は強烈で、

「ちょ、ちょ……」
「え……そんな……」

 俺達は揃って真っ赤になってしまった。
 さつきはメチャメチャ嬉しそうで、なんか手を出したら火傷しそうな程真っ赤だ。そりゃあ「ご一緒に住む」は反則だと思います、琥珀さん。……否定はしないけど、さ。
 そんな風にやってると、琥珀さんがぱんぱんと手を叩いて俺達を現実に戻した。

「さてさてお二人さん、私の指導は厳しいですよ。頑張って働いてくださいね」

 こうして、さつきと一緒の奇妙な大整理が始まった。

 それから五日程経ったある日。

「本日もお疲れさまでした」

 みんな揃っての夕食。今日はさつきも琥珀さんに押し切られる形で混ざっていて、俺としてはいつも以上に食事が美味しかった。
 さつきと俺は、朝から夕方まで屋敷のあちこちの部屋を開けては掃除していた。俺が男だからと力仕事が主で、さつきは部屋を掃除する。まぁ大体そんな割り当てで結構大変だった。
 もっとおしゃべりする余裕があるかな、と思ったけど、琥珀さんの陰謀か、結構別の場所で作業をさせられる事が多かった。
 くそう。琥珀さん、俺達をもっと近付けさせたいのか離れさせたいのか、どっちなんだ。

 それでも、ふと廊下ですれ違ったり、たまに同じ部屋で作業をしている時など、さつきの笑顔は俺にとってやる気が出た。たまにお互い「がんばってね」なんて声を掛け合うと、後の作業もはかどった訳で。実はその辺も琥珀さんの作戦か、と思うと、やはり策士と頷いてしまう自分がいた。

「ゴメンね琥珀さん、私の分まで用意して貰っちゃって」

 さつきは三つ星レストランも真っ青な料理をいただきながら、嬉しそうに琥珀さんに謝っていた。

「いえいえ、お仕事も順調ですし、お礼も兼ねまして。それに志貴さんの思い人なんですから、これくらいは使用人として当然ですよ〜」
「えっ……」

 不意の一撃に、さつきの顔がボッと火を噴いた。

「そ、そんな……」

 かちゃかちゃとナイフで皿の上に「の」の字を書きながら、ちらりとこちらを見てたまらない表情を見せている。
 そんな目で見られても、こっちだって恥ずかしい。助けを求めるように琥珀さんを見ても、あちらはあちらで含みのある笑いを浮かべていて、やられたという気分になってしまう。
 で、翡翠は相変わらず我関せず、と言った感じだったのだが……

 ガチャン

 ここに、その状況がまったく面白くない人間が一人いたようで

「兄さん!」
「は、はいい!」

 秋葉にぎろりと睨まれると、俺はすくみ上がってしまった。
 なんで俺だけ……と思うが、今それを口に出したら完全に秋葉の逆鱗に触れる。

「琥珀、お客様をからかうのはよしなさい」
「申し訳ございません〜」

 秋葉は偉く不機嫌だ。まぁそりゃ、自分は部屋に籠もりっきりで書類を片づけていて、ろくに俺に構って貰えず、さらにその俺がこんなデレデレだったら怒るのもわからんでもない。
 それにしてはちょっと怒りすぎのような気もするが、何故かは分からなかった。

「……で、琥珀。弓塚さんのお仕事はいつ頃まで?」
「はい、大体月末を目処に考えてます」

 琥珀さん達のやりとりを聞いて、何となく寂しく思ってしまう。一応終わりがあるのかと思うと、ちょっと残念だった。

「もう少し早く終わらせられないの? 弓塚さんだってご自分の予定があるでしょう?」

 と、秋葉はぎろりといった鋭い眼光でさつきを睨んだ。まさに鬼姑という言葉がぴったりで、流石のさつきもたじろいだ。

「いえ、私は特に予定はないですから……」

 敬語になってる。秋葉は年下なのに。
 ああ言ってるくせに、主人である秋葉がお客様をいじめてどうするんだ、とか思いながら苦笑していると、琥珀さんが怪しい笑みを浮かべた。

「それならば……弓塚さん」
「はい?」

 ふと向けられた話に、さつきが不思議そうな顔を向けた時だった

「明日から、住み込みでいかがですか?」

「ええっ!?」
「え?」

 琥珀さんのその一言に、声が二カ所からあがっていた。
 ひとつは当然、さつきから。で、もうひとつは秋葉……ん、なぜ秋葉?

「ちょ、ちょっと琥珀、何考えてるのよ!」
「まぁまぁ秋葉様。弓塚さんも毎日往復では大変ですし、綺麗になったお部屋も余ってますから、その方がもう少し働いていただけますし、早く片づくので、秋葉様のお気遣い通りになっていいじゃないですか?」
「た、確かに……」

 琥珀にうまく言いくるめられて、秋葉も失言を悔やんでいるようだった。

「ということで弓塚さん、よろしければどうですか?」
「うーん」
「大丈夫ですよ、すべてこちらでご用意しますから。それに……」

 さつきは突然の事に迷っているようだったが、琥珀さんはそんなさつきにすすす、と近付いて

「もう少しお願いしたい事もあるんですよ、例えば志貴さんのお世話とか……」

 と、全員に聞こえるように耳打ち。
 瞬間、さつきの目の色が変わったような気がした。

「や、やります……」

 そう宣言するさつきに、秋葉は何とも言えない表情。
 そして俺は……まぁ、琥珀さんの不敵な笑みと、秋葉の刺すような視線に複雑な笑いを浮かべるしかなかった。








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