俺が背負ってきた翡翠をベッドに横たわらせると、琥珀さんが苦しそうな翡翠を出来るだけ楽な格好にさせようと、そのエプロンを取り、襟元のボタンを一つ開けてあげる。呼吸が荒く、額には僅かに汗も見えるその姿は、俺の心を苦しめた。
 俺のせいで……翡翠をこんな目に。

「琥珀さん……翡翠は」
「……ほぼ、全魔力を使ってしまったようです」
「全部……?」
「はい、志貴さんを守った一撃、暗黒翡翠拳奥義『御奉仕推奨波』で」
「……」

 その言葉が俺を更に苛ませる。翡翠の顔を見れなくなってしまい、視線をそらせながら拳を握りしめた。

「俺が、俺がしっかりしていれば……くそっ!」

 自分をめちゃめちゃに殴りつけてやりたいそんな衝動を覚える。こんなか弱い女の子一人守れないで……! しかし後悔しても遅い。これはもう起こってしまった事実。

「琥珀さん。俺に出来る事は」
「はい。翡翠ちゃんとの契約の力を強めてあげてください」
「契約の、力?」

 焦りにも似た気持ちで尋ねるが、先程から全然慌てた様子のない琥珀さんは、静かに答えた。

「わたし達の魔力は、志貴さんとの契約で飛躍的に強くなりました。翡翠ちゃんはその魔力を全解放で使ったんですが、その力に体が耐えられなかったようなんです」

 あの時の、一撃……迫り来る電車をも止めた、信じられない程の力……

「元々わたし達の魔力は、何もしなくても世界から力を貰い回復しています。ですが、こうなってしまうとそれだけでは追いつけなくて、他の人から魔力を貰うか、改めて契約の力を強める事で回復を早めなくてはいけません。……マスター」
「つまり、俺に」
「そうです。マスターとして、翡翠ちゃんに力を与えてください」
「……わかった」

 翡翠の側に来ると、ようやく穏やかになってきた息づかいが分かる。
 琥珀さんは秋葉への連絡と、必要になったものを買いに行く為に席を外した。今、ここにいるのは俺と翡翠だけ。そう、ふたりだけ。……そのことが、何か酷く悪い事をしているように思えてしまう。まるで翡翠の部屋に忍び込んで、その寝顔を盗み見てしまっているかのような。
 しかし、今は翡翠を助ける為に動かなきゃいけないんだ。俺は自分に言い聞かせて、なんとかその罪悪感を断ち切る。そんな事よりももっと罪深い罪への、これは償い。

「……」

 契約の力……体液の媒体。
 言われたとおりに、俺は翡翠を抱き起こして口づける。
 舌を使ってゆっくりと翡翠の唇を割ると、そのまま奥へと舌を滑り込ませた。
 翡翠の吐息が、繋がった口内に響き渡る。

「んっ……」

 俺はその舌を伝わらせて、自らの唾液を翡翠の中へと送り込んだ。願いにも似た気持ちの中、翡翠はその声と共に、喉を小さく動かした。それを確認すると、俺は唇を離し、翡翠を見つめる。僅かな間の後、閉じられていた翡翠の瞼が微かに動いて、それから光を求めるようにして開いた。

「……あ、ああ、志貴さま……?」
「翡翠……よかった」

 意識の戻った翡翠に、俺は安堵の声を漏らした。よかった、本当によかった……
 翡翠は俺の目を見つめて、何があったかを悟ったようだった。瞳を反らすと、すまなそうな顔になる。

「申し訳ありません。わたしがお助けする役目だというのに、志貴さまに助けて頂いたなんて」
「いや、悪いのは俺だ。翡翠は俺の為に……」

 翡翠は何も悪くなんか無い。俺はただこうしてやる事しかできなかった、無力な人間なんだ。だから、翡翠の頬を撫でてあげながら、もう一度ベッドに寝かせようとした。が、翡翠の伸ばした腕が俺の背中に回り、それを拒む。

「翡翠?」
「まだ……力が……」

 シャツを掴んだ指も力無い、まだ魔力が戻ってこないというのか。翡翠は今はこちらを見つめ、真剣な眼差し。そして、次の言葉はあまりに衝撃的だった。

「ですから……志貴さま、わたしに……わたしの膣に……志貴さまを下さい」
「!?」

 今、翡翠を抱けって言うのか?
 そんな、こんなにまだ苦しんでる翡翠を……?

「志貴さまの唾液だけじゃ足りません。もっと、大きな力を頂きたいのです。その為には、わたしの膣に、注いで頂きたいのです」
「そんな……」
「大丈夫です。志貴さまのお求めに答えるだけの力は残っています。好きなようにしてください」
「でも……」

 途方もない罪悪感が俺を襲う。翡翠をこんなにしたのに、今、助ける為とはいえ、その体を使えと申し出るその健気な姿が、俺には正視できないくらい。
 だと言うのに、翡翠は顔をもう一度近づけると、俺にくちづける。そのまま舌を滑り込ませて、優しく俺の舌に合図を送った。

「ふうっ、はぁ……」

 翡翠からのキスに、俺は動けないでいる。でも、送られてきた唾液を嚥下する欲望に、逆らう事は出来なかった。こくんと喉を鳴らすと、翡翠は微笑んで唇を離す。

「わたしも、欲しがっています。この……はしたないメイドに、志貴さまのお情けを下さい」
「……」
「姉さんも、それを分かっていて今ここにいない筈です。わたしを……助ける為と思って、我が侭を聞いてください」

 頭の中がワケの分からない状態になる。琥珀さんの行動の真意、そして翡翠のお願い。それを、俺は、俺は……

「翡翠」
「はい、志貴さま」
「本当に、いいんだね?」

 心を鬼にして、尋ねた。
 翡翠は僅かに頬を紅潮させると、こっくりと頷く。

「はい」

 一度決めたら引かない意志の強さ、それは翡翠の性格であり、正しさだと分かっていた。だから、俺には最初から選択肢など残されていなかったのだ。

「分かった」
「……ありがとうございます」
「でも、自分だけ気持ちよくなってしまうのは嫌だ。翡翠も、出来るだけ気持ちよくなって貰いたい、だから、それだけなんて事はしない、させない。いや、俺の思うままにさせてくれ」

 きゅっと、翡翠の事を抱きしめる。今度は俺の我が侭。全くそんな権利はないのに、自分勝手な我が侭だと承知の上での言葉。

「志貴さま……わたしは、そんな優しい志貴さまが大好きです」

 翡翠の言葉に、心が痛く、そして嬉しかった。
 俺は頷き顔を寄せると、改めて、心の底から翡翠を思って口づけを交わす。

「翡翠、好きだよ」
「ああ、志貴さま……」

 


 

(ナニかあったと思いねえ)

 

 

 

 

「もう大丈夫ね、翡翠ちゃん」
「はい、姉さんにも迷惑をかけてしまいました」
「そんな事無いよ。咄嗟の出来事に冷静に判断したあの翡翠ちゃんの行動、やっぱり翡翠ちゃんは凄い。流石翡翠拳の伝承者、だから、わたしが謝らなきゃダメなのに。翡翠ちゃん、志貴さんを守ってくれて、ありがとう……」
「……はい」

 琥珀さんは秋葉への連絡と、服を用意して帰ってきた。元気になった翡翠を見て、一番喜んでくれたその笑顔が俺は嬉しかった。俺に向かって頭を下げてくれて、もう一度見た時の瞳に微かに浮かんでいた涙……それは、姉妹の愛とか絆とか、とても大事な、強いものを感じさせられた。

「姉さん。見ましたか」
「もちろん、この目ではっきりと」
「……何を?」

 ふたりは姉妹の話を一通り終えると、魔法使いの瞳、その真剣な面持ちで確かめ合った。

「はい、志貴さまを突き落とした」
「魔法使いです」
「なるほど。やっぱりあれは」

 魔法使いだったのか。
 俺も琥珀さんが変えてくるまでの間、翡翠を胸に抱きながらこうなった原因を探っていた。それは、後ろから突き落とされて、最後に見たあの姿……例え向こうの理由があっても、自分を殺そうとして、そして……翡翠を傷付けたあの姿を、敵として認識していた。それは、昼間の出来事との点と点を繋ぐ線。あの姿、小柄な少女は……魔法使いだ。

「名前は?」
「はい、間違いありません。未来視を持つ『SEO・晶』さんです」
「瀬尾……アキラちゃんか」

 名前を聞いた時、薄々分かっていたとはいえ、納得できないものがあった。アキラちゃんは秋葉の後輩だ。いつも秋葉に可愛がられて、俺ももう一人の妹みたいだって思ってた、あのアキラちゃんが……

「分かった」

 しかし、今は断ち切るしかない。アキラちゃんへの情愛よりも、今はもっと許せない感情が大きかったからだ。

「とりあえず、今日はゆっくり休みましょう。明日もまた、必ず瀬尾さんは現れます」
「ああ、そうだね……」

 聞けば秋葉は相当反対したようだが、流石に翡翠が倒れたと聞いたら無理強いは出来なかったらしい。俺達の宿泊を渋々認めたようだ。幸い琥珀さんがすぐ側の商業施設で服を買ってきてくれたから、衣服も困らない。
 ただ、気になった事と言えば……

「この部屋、さ、どうやって用意したの?」

 落ち着いて考えてみれば、琥珀さんの言われるままにここへやってきた訳だけど……朝見たあのでっかいビル、ここはホテルだった。

「ちょっと、お願いしたんですよ」
「へえ……誰に?」

 普通に琥珀さんが流すから、俺もそのまま流れで質問した。なのに琥珀さんは突然ふふふ、と怪しい笑みを浮かべると、俺を見て尋ねた。

「……知りたいですか?」
「……いや、いいよ」

 ……知らない方が幸せな事ってある、最近の俺の持論だ。そう、ここは誰かが善意で用意してくれた部屋、たまたまキャンセルが発生した部屋、そう思う事にした。

「でも、ベッド二つしかないよね?」
「当たり前ですよ、ツインですから」
「と言う事は……」

 俺は一瞬、ヨコシマな考えを想像した。どっちと、添い寝かな……。がしかし

「そうです、志貴さんは床に寝て下さいね。はい、フロントでお布団を用意して貰うようにお願いしましたから」
「……はい」

 しくしく。思惑通りに事は進まない訳ね。まぁもし夜頑張りすぎて次の日ヘロヘロだったら、魔法使いの戦いに俺なんて足手纏いなんてもんじゃないと判断したのだろう。琥珀さんはきっとそう……

「まぁ志貴さん、レディーファーストで申し訳ありませんね」
「……」

 考えてない。何か虐げられている気分だ。
 その夜、あれ程最初は不慣れだったベッドを恋しいと思った事はなかった。