「……」 漆黒の闇に包まれた校舎。 「……」 静寂を破るように、遙か遠くでカツンという音が聞こえたような。ずっと他の音を享受していなかった自分の脳が発した幻聴か、そう思ったのは僅か一瞬のことだった。 「やはり……遠野くんが相手ではやりにくいですね」 そう言って靴音を隠す訳でもなく、制服姿のシエル先輩は堂々と俺の前に姿を現した。 「俺だってやりにくいですよ。説得は……聞いて貰えそうにないですね」 言葉の途中、先輩の意志の籠もった瞳に見据えられていると理解した俺は、解っていた事だが僅かに残されていた希望をも消されてしまっていた。 「……理由はどうあれ、魔法使いに荷担している時点で遠野くんは私の敵です。粛正を誓った私に出来る事は、排除のみ。それが例え……あなたでも、容赦は出来ません」 そう言うと先輩は眼鏡を取り、宙に放り投げた。 「アブソリュート・シエル……わたしはそう呼ばれています」 お互いが自己紹介をすると、さっきまで先輩だった人が笑った。 「セヴン……ですか。わたしも昔は絶対数と呼ばれる七に在位してたんですよね。何だか親近感が湧きますよ。でも、それも昔の話……」 そう言って先輩は腕を一瞬服の中に通したかと思うと……指には三本の剣。 「今は孤独な粛正者。その名前、今となっては憎むべきものでしかありません、覚悟!」 カチャリと冷徹な音、ガッと地を蹴る音と共に、シエルは突進してきた。 「くぁ……!」 ドカドカドカアッ! 「遠野くん……いや、セヴンスナイト。私がこれだけ本気なのに、武器も出さないのですか?」 シエルはまた一つ間合いを置くと、呼吸一つも乱していない落ち着き払った姿で尋ねてきた。 「ああ……ばれていたか。何とか音便に組み伏せたいと思ったのに」 俺はポケットの中にある存在を右手に確かめると、左手で静かに眼鏡を取り、シャツのポケットに仕舞った。 「へえ……青い瞳ですか、それが……」 先輩はほうと一つ感心すると、不敵に笑った。 「しかし、今更無駄です。先程の答え、あなたには一つも選択肢はありません。なぜなら……」 シエルの右手が動いて 「わたしが、あなたを倒すからですっ!」 そう叫ぶと同時に キィ…… 俺の右手は動いていた。 「……やっと、本気になりましたね」 シエルの声に抑揚はない。しかし満足そうなその言葉は、戦える事の喜びを体の底からわき上がらせるような一言。 「殺されると解ったら、俺もセヴンスナイトの血が黙っちゃいないよ」 無意識のうちに動いた右手。それは僅か一瞬に、恐ろしい程の正確さで点を突いていたのだから。無理矢理覚醒させられて、血は胸騒ぎを呼び起こす。戦いたくないと、戦いたいがせめぎ合うこの時は、まだ冷静でいられた。 「それでは、こちらも……」 そう言うと、シエルはカソックに手を掛けると、バサッと宙に投げ上げた。 「!?」 もう一度、変身……!? 「今までの力は半分……これで、終わりにします」 死の宣告。粛正者としての冷徹な一言が空気を殺した。 「あなたの契約ごと、全て無に消えて頂きます!」 そう言って右手を掲げ…… 「セブン!」 虚空へと、シエルが叫んだ。 ……が 「な……!?」 シエルが一瞬、信じられないといった表情を浮かべる。 「……くくっ」 俺は、その様子に堪えきれずに笑っていた。 「な、何がおかしい、セヴンスナイト!」 その焦りの様子は隠す事も出来ず、シエルはただ狼狽えるばかりだった。 「ああ、おかしいよ。セブンとか言ったよね、シエル。それは……」 その時になって、ようやく俺達以外の存在が場に現れていた。全ては俺達の計算通りに。 「セブン!?」 俺の背後から琥珀さんに連れられて現れたのは、シエルが呼び出そうとしていたそれそのもの……セブンであった。 「久しぶりですねシエルさん……こうなる運命とはいえ、少々詰めが甘かったですよ?」 お互いの再会は感動を含んだものではなく、むしろ琥珀さんがシエルを哀れむかのような口調。 「まさか……」 そう言うと、琥珀さんはセブンを前に出した。 「……」 セブンは俯いたまま何も言わない。ただ視線を合わせないようにと下を向き、言葉を堪えているようだった。 「セブン!」 背筋が震え上がる程の声で、シエルが叫んだ。まだそこに自分へのアドバンテージがあると思ったからだろうか。 「御免なさいマスター……もうわたし……ふたりのものなんですー!」 呪いから解放された、とでも言わんばかりに笑顔のセブンがいた。 「!?」 凄く興奮した様子で顔も真っ赤に染めながら、セブンは頬に手を当てながら熱っぽく語っていた。 「と、遠野くん!?」 この時ばかりは流石の先輩も巣に戻ってしまったらしく、俺の方を驚愕半分、怒り半分と言った様子で見つめてきた。 「ま……まぁ……そう言う事です、先輩」 俺は苦笑するしかなかった。まぁ何をしたかと言えばナニをした訳なんだが、琥珀さんと二人で。最初はちょっと抵抗あったけど、いざ剥いてみるとこれはこれで結構……とか、鼻の下が伸びかけたのを先輩の視線が止めていた。 「……やっぱり変態です、遠野くん。わたし達では飽きたらず、遂には精霊にまで毒牙にかけるなんて……でも、遠野くんはそう言う人ですから……」 頬を微かに染められ、でも諦めたようにはぁ……と一つ溜息をつかれると、返す言葉が無くて、苦笑するしか俺には出来なかった。俺はセブンの横にいた琥珀さんを見るが 「あはー、やっぱそう思われてるんですよマスター。これで人外含めて何人目ですか?」 ……やっぱり涙が出そうになった。 「さてさて、その変身の唯一で最大の武器であるセブンちゃんを失って、どう戦うつもりですか、シエルさん?」 改めて、不敵な笑いを浮かべながら琥珀さんは手にしたほうきを構えた。戦力も数もこちらが圧倒的に上だ、これならば説得も可能かも知れない。 「ふふふ……面白いじゃないですか!」 瞬間、両手を掲げてシエルは床に両手を翳した。 「!」 唐突に、世界が青く彩られた。 「何も考えずに投げてたとお思いですか、セヴンスナイト? アンバー、あなたも詰めが甘いですね?」 声は聞こえるのに、琥珀さんは結界の向こうからこちらに来る事が出来ない。 「無駄と知ってますよね? この結界はそうそう破れませんよ」 シエルは冷静に告げると、ゆっくりこちらに向き直った。 「そして……」 ヒュッ、ヒュウッ! 「!」 ガッガッと、五本のナイフが油断していた俺の足下に突き刺さった。 「なっ……!?」 俺は動こうとしたが、足が動かなかった。 「こちらも……影縫いをさせて貰いました」 シエルがそう言った瞬間、ナイフ同士が結ぶ線が五傍星を作り、更に円を描き魔法陣が生まれる。その全ての線がゆっくりと水が這うように伝わり全てが繋がると……ナイフからボッと炎が発生した。その炎は、魔法陣の中心、まさに俺目掛けてゆっくりと進んでくる。 「さぁセヴンスナイト、大人しく降参してください。それとも……神の粛正の元、このまま紅蓮の炎に焼かれますか?」 一瞬よろめき立った陽炎の熱さに狼狽えながら、俺はシエルを睨んだ。 「マスター!」 琥珀さんとセブンは必死で結界を破ろうと壁を叩くが、むなしく音が響くばかりだった。 「そうですか……では、ここでさよならです、遠野くん。愛してましたよ……」 一瞬先輩の顔に戻ったシエルが、少し寂しそうだった。 「……くっ!」 そんな顔されると、許せなかった。 俺は手にしていたナイフに力を込めると、視線の先を凝視した。 「ぐうっ!」 熱さに加えて、強烈な頭痛が意識を朦朧とさせてゆく。しかし目を反らす事は出来ない。判断ミスは死なのだから。 「当たれぇぇぇ!」 ナイフを力の限り投げつけていた…… 「先輩……」 何度目かの呼びかけで、ようやく先輩は目を覚ました。 「遠野くん。ここは……んっ……」 俺は呻いた先輩を助けて、ベッドの背もたれに体を起こさせた。 「保健室です、ここは心配ないです」 先輩は一言そう言うと、はぁと大きく溜息をついた。 「……先輩?」 その言葉に俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。 何をやったかというならば、俺は『点』を突いたのだ。
先輩の目は、僅かな困惑と共に俺を向けられていた。 「そりゃあ、黙って見過ごす訳には行かないからに決まってるじゃないですか」 俺は即答した。 「例え敵でも、傷ついた人は助けてやらなきゃならない。例え元気になって、もう一度敵になっても、それは仕方ない事だと思う。……また戦わなきゃいけないのなら、それは辛いけど」 最後はちょっと笑顔になれなかったけど、それは当たり前の事だと思う。 「それに先輩も、もう『遠野くん』って呼んでくれてるじゃないですか。今はもう敵ではないんでしょ? 琥珀さんもセブンも、みんな必死で探してくれたんですよ」 そうだ、琥珀さんもセブンも、一緒になって先輩を捜してくれて、重いガレキをどかすのは一人じゃ出来ない事だった。今は席を外して貰ってるけど、二人にも後で会って欲しいと思った。 「……はぁ、参りました、降参です。遠野くんもアンバーもセブンも、本当お人好しなんですから……」 そう言うと、にっこりと俺の事を見た。 「!? じゃぁ……」 よかった。少し傷付けてしまったけど、平和的に解決してくれて…… 「じゃあ……遠野くん、私を……抱いてください。契約、しましょう」 その唐突な言葉はすっかり忘れていた事実。 「あ……だって、先輩……」 先輩は元気だと言うように胸を張って、笑顔を見せてくれた。 「それとも……遠野くんは、わたしの事が嫌いですか? あの娘の方が魅力的で、わたしと、その……したく、ありませんか?」 その言葉に俺はぶんぶんと首を振り否定するしかなかった。 「そんな事無い、先輩のことは俺、ずっと……」 その先を何て言おうか迷っている内に、先輩の顔が薄紅に染まり、もっと笑顔に代わって……唇を押しつけられていた。 「わたしもですよ、遠野くん……こんな運命じゃなくても、こうしたいって……」 その言葉の先を言わず、先輩はもう一度唇を重ねてきてくれた。
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