「ただいま……」

 俺は屋敷に帰ると、ばったりとベッドに倒れ込んだ。先輩の言葉が、脳裏から離れない。

 誰が……?
 そんなこと、とっくに分かっているはずなのに、心がそれを拒絶する。
 だって、それを認めてしまえば、つまり……
 食事も取らず、俺は一人悩み続けた。堂々巡りは精神を疲弊させるだけで、まったく無意味な時間だけが流れていた。

 ……と、
 トントン

「志貴さん?」

 ドアの外からは、少し意外な人の声がした。

「琥珀さん……開いてるよ」

 俺は起きあがると、琥珀さんを部屋に招き入れた。
 琥珀さんは部屋に入り後ろ手にドアを閉めると、部屋を見渡した。

「大丈夫、カメラとか盗聴器なんて無いハズだよ」

 その言葉を聞いて安心したか、琥珀さんは俺の方にやってきた。

「マスター……」

 心配そうに、それでも問うように琥珀さんの言葉が響いた。

「ああ」

 嘘はつけない。隠しても仕方がない。
 俺は琥珀さんを見ると、苦しい胸の内を吐露する。

「魔法使いはいる。しかもそれは……」
「マスターの、お知り合いなのですね?」

 続きを言わない俺に対する琥珀さんの問いに、ただ黙って頷くしかなかった。

「こんなのおかしいよ……。今までずっと普通に暮らしていた俺達が、こうして争わなきゃならないだなんて……」

 悲しみに言葉が詰まりながら、俺は正直な気持ちを口にした。運命とはいえ、少し残酷だ。本当はみんな争いたくないハズなのに。

「……許して下さい。私たちがいけないのです」

 琥珀さんまでも悲しい顔をする。けど、すぐに意志のこもった瞳に戻った。

「プリンセスを助けるため、今はこうするしかないのです。マスターには苦しい思いをさせてしまっていますが……それ以上に私も苦しい事を……」

 それ以上は言えず、琥珀さんは口を閉ざした。
 そうだ、誰だって辛いのだ。
 でも、そうしなければならない。この辛い運命も、乗り越えなければならない宿命にあると誰もが心の中では感じているはずだった。それは、俺も、琥珀さんも、翡翠も。そして……

「シエル先輩……」

 その言葉を発したとき、琥珀さんが酷く驚いた顔をした。

「シエル……!」

 明らかにその名前を知っている口振りに、俺は反応せずにはいられなかった。

「知ってるの!?」
「はい……」

 琥珀さんは、少しだけ懐かしむように遠くを見た。

「元々は、一緒に戦っていた仲間でした。……気が合うと言うんでしょうか、似たもの同士だったので、よく話をしたものでした。でも……」
「でも?」

 続きを求める俺に対して、琥珀さんは酷く悲しそうな顔をした。

「あの人は……離反していきました。自分の信念のために」

 その時を思い出してしまったか、琥珀さんは辛そうに言葉を続けた。

「プリンセスの力の限界を悟ったとき……自らの力を信じて、自分が力無い魔法使いを殲滅するのだと言って去っていきました。そう、それは神による粛清……」
「粛清……」
「はい、シエルは強力な武器を手に、魔法使いの力を根本から消滅させる力を持っています。それは味方のうちは非常に心強かったですが、敵に回すと……」
「誰よりも恐ろしい、か……」
「はい、ですから迂闊には手を出さないようにと思っていたのに、いきなり彼女からとは……」

 いきなりの強敵に、流石に戸惑いを隠せないでいる琥珀さん。実力もあって、なおかつ旧友……これほど辛い戦いもないだろう。

「先輩の武器、それは俺には通用しないの?」
「恐らく……マスターは魔力という形では力を持っていないはずなので……」

 確証はないわけか……しかし、琥珀さんを直接相手にして貰うよりはまだマシだ。

「分かった。俺が戦います」
「! マスター!?」

 琥珀さんがそんな、というように驚きの声を上げるが

「これは避けられない戦いだ。正体が分かってしまった以上迎え撃つしかない。まだ向こうが知らない琥珀さんをわざわざ矢面に立てて戦わせる位なら、俺が行く」
「……」
「だから、琥珀さんは待っていて欲しい。セヴンスナイトは絶対負けないんだろ?」

 押し切るように、俺は真剣な瞳で琥珀さんを見つめた。
 琥珀さんは悩んでいるようだったが、やがて

「……マスター、あなたは……」

 ふっと笑ってくれた。

「分かりました。お願いします。でも、くれぐれも無理はなさらずに。私も翡翠ちゃんと出来る限りの協力をしますから」

 そう言って、頭を下げてきた。

「うん。命あっての物種だから、やばくなったら逃げるけど、いいかな?」

 出来るだけ深刻にならないようにおどけて、俺は訪ねると琥珀さんも笑った。

「はい、傷ついても必ず治して差し上げますけど、命だけは呼び戻せませんよ」

 そうして、二人で笑った。

「よし、そうと決まれば明日からは緊張しないとな。いつ襲われてもおかしくない」

 俺は真剣な表情を作る。そうだ、先輩もどこまで本気か分からない以上、こちらも気を引き締めないといけない。

「そうですね、いつ襲われても、ですか……うふふ」

 琥珀さんは、その言葉におかしみを感じているようだった。

「……琥珀さん?」
「マスター、ちょっといいですか?」

 と、ゆっくり琥珀さんは俺の元に近づくと、顔を寄せてきた。

「……?」

 その突然の行動にハテナマークを浮かべている間にも、琥珀さんは俺の体に顔を近づけ、匂いを嗅いでいるようだった。それは……

「やっぱり」
「え?」

 顔を離すと、琥珀さんは指を立てて俺に向けてきた。

「ダメですよ〜。私に浮気してシエルさんとよろしくしちゃ。もう襲われたんじゃないですか?」
「なっ!」

 恐るべし女のカン、とでも言うのだろうか。琥珀さんはその僅かな残り香から二人が接触したことを悟っていたようだ。いや、恐らく前からそうであったのだろう、ここまでそれを隠していたのは、俺の弱みでも握るためか……

「せっかく勇気づけようと思ったのに、そんな不埒なマスターには、お仕置きです」

 と、琥珀さんはいきなり俺の股間を強く握りしめた。

「いたっ! ちょ、琥珀さん。痛いよ……」

 そのむんずとやられたしびれる痛みに、俺は文句を言おうとしたが

「ダメです。もう少しでシエルさんの罠にはまって、ザックリやられちゃっていたらどうするんつもりだったんですか? 不能になっちゃったらいくらマスターといえどもただの木偶の坊ですからね?」

 きっついお言葉で、琥珀さんが注意をした。

「あ……木偶」

 確かに男として、不能は辛い。そしてシエル先輩があの時俺を敵と認識していたなら……と思うと、少しだけ自分の判断を誇らしく、そしてぞっとした。

「ということで、女の恐ろしさを少し分かっていただかないと困りますね。え〜い!」

 と、いつの間にベルトを外したのかズボンをポンと投げ捨て、そのベルトで今度は俺の手首を縛っていた。