ほうき少女 まじかるアンバー
2nd night 離反の将 アブソリュート・シエル(と第七聖典)

 

 

「ご主人様……」

 ……遠くで誰かがが俺を呼ぶ声がする。意識は曖昧だけど、この声にはもちろん聞き覚えがあった。しかし、その呼称が違うのだ。どうして俺は「ご主人様」であるのだろうか?それがワカラナイ。
 が、その声の主は自分のその言葉の意味に気が付いたようだった。コホンとひとつ、自分の行動を正すように咳すると

「……貴様、志貴様。お目覚めの時間でございます」

 と、一言目は恥ずかしそうに、しかし次にははっきりといつも通りのあの台詞回しで俺は呼び起こされていた。すると、まるで体がその声と言葉だけに反応するかのように目覚めてゆくのが自分でも分かる。自由になった体を自然に動かし、俺は眼鏡を手探りでかけて体を起こした。

「おはよう、翡翠」
「はい、志貴様」

 俺がいつも通りに声をかけると、やはり翡翠も先程の失態を微塵も感じさせぬいつも通りの返事をした。その凛とした姿はいつ見ても仕事熱心で真面目だなぁ、と普通は思うのだが……これが実は昨日までは敵同士だった魔法少女だなんて、とても思えない。

 「昨日」と言えば過ぎ去ったありふれた過去の時間に埋もれがちだが、流石にこの日だけはワケが違った。
 朝、この部屋の窓を突き抜けて現れた少女。そして訳の分からぬままに契約を結ばれて、もう一人の少女とのいきなりの対峙。生命の危機を感じるほどの辛勝の末また契約と、波乱に満ちた一日だった。
 まぁ、その時の少女のうちの後者が今ここにいるワケなんだけど、『メイド少女、くんふージェイド』とか言ってたっけ。思わず失笑がこぼれそうになるが、何とかこらえてそう名乗った少女をまじまじと見る。

 ……どっからどう見ても、翡翠である。

 昨日俺の命を狙った拳法と怪しい魔法の使い手だとは、日頃の姿からは想像できるわけもない。まぁでも根っこは一緒らしく、結局うち解けた後はいつもの翡翠そのままだった。……あっちの方も。それは置いといて

「うん、毎朝ご苦労さま」

 俺は新たに大きく動き出した自分の運命を少しだけ楽しんでいるようだった。
 立ち上がり、ひとつ伸びをしてからぽんぽんとそのカチューシャがのった頭を軽く叩いてあげると、ハッとしたように俺を見つめ、沸騰しそうな表情の翡翠。

「いえ……これが私の仕事ですから」

 うん、なんだかいつもの翡翠そのままだなぁと思う。少しくらい普段と違うフリをして俺を心配させるかと思ったけど……全くもって問題なさそうだ。

「じゃぁ、すぐに着替えるから」
「はい。かしこまりました」

 そう言われて翡翠が答え、すぐに察して廊下に出る。俺は翡翠を一人行かせず、待たせることにした。翡翠が用意した着替えの学生服に袖を通し、ドアを開ける。

「お待たせ」

 と、俺はなるべく自信に満ちた表情で廊下を歩きだした。

「ところで……琥珀さんは大丈夫だよね?」

 しばらくして、俺は後ろを静かに付いてくる翡翠に話しかける。

「はい、姉さんは元々演技派ですから」

 と、翡翠は本人が聞いたらどう反応するか複雑な言葉を返してくるが、それはつまり自分がまだまだだということの裏返しと取って良いのだろう。これだけ完璧な翡翠がそう言うのだから、問題はないだろう。が、それは俺みたいな普通な人間が相手の時である。問題は……

「うん……そうだといいけど、相手はなぁ……」

 俺は口に出しながら、あの千里眼とも疑わしき鋭いメヒョウの様な視線を思い出して、ひとつ苦笑と焦りの表情を浮かべていた。

 昨日起きた出来事は、言葉で説明するにはあまりにも時間が足りないほど波乱なものだったと思う。しかし、常軌を逸した事は慣れっこだから、受け入れがたい事実でもすぐに順応するのが俺だ。今はもう余裕で、二人の見た目はそのままだが中身が違う新しい生活を始めていた。
 しかし、この屋敷には翡翠と琥珀さんを除いても、まだもう一人の居住者がいる。しかもそれがこういう怪しいものを見破る力は天下一品の人間であるから、まったく運命は都合良くできていない。

 もちろん、言うまでもなく秋葉だ。

 そんな秋葉を前にして、翡翠と琥珀はそれぞれの振りをしていられるのだろうか? 翡翠なら慎ましやかに俺の後ろに控えていれば特に問題は無かろう。問題は琥珀さんである。よく喋るし、食事も作らなければならない。そして何より、秋葉付きであるのだから、僅かな違和感が致命傷になりかねない。
 しかし、二人は完全に翡翠と琥珀に成り切ると言ってのけたのだ。
 そんな中、昨日の戦いで痛めた俺の足の怪我が怪しまれるところだったが、それも琥珀さんの魔法……というか薬ですっかり痛みが消えている。薬の効いている間、約束通り俺は琥珀さんに奉仕され、さらに翡翠にも奉仕された。絶妙な二人のコンビネーションにあっさりと降参し、俺はしたたかに何度も達した。そして痛みが消えると、今度は動けなかったうっぷんを晴らすようにして二人に襲いかかり、逆襲とばかりに二人を啼かせた。

「だめです志貴さま……あああっん……」
「志貴さん、すごいです……深ぁい、んんっ!」

 そっくりな双子を、僅かな違いを見つける程まで愛した。まさに天国、死んでも良いとタナトスの花が見えた一瞬もあったっけ。
 結局三人共心地よい疲れに体を眠らせたのだが、二人ともどうやら俺より先に目を覚まし、それぞれの朝の仕事に就いたようだった。これからも契約者として、こんな日々が続くのかな……と思うと、期待半分、不安半分といったところだった。

 ……まぁ、それはとにかく。
 俺達は応接室の扉の前に立つ。この時間なら、扉の向こうでは秋葉が琥珀さんと一緒にお茶を飲んでいる頃だ。
 ゴクリと息をのみ、柄にもなく緊張する。のんびりとした朝の一風景が、もしバレたら揃って殺されかねない修羅場になるのだ。
 俺は平静を装い、とぼけた様子でのんびりとドアを開けた。

「あら兄さん、おはようございます。随分と遅いお目覚めですね。まったくもう少し早く起きて私のお茶の相手も出来ないものですか?」

 と、秋葉が俺の方をジト目で見ながら悪態をつく。

「まぁまぁ秋葉様、そう朝から志貴様を責めてもだめですよ」

 それをなだめるかのように、琥珀さんが絶妙な掛け合いを見せていた。
 ……よかった。
 琥珀さんと秋葉の二人は、まったくいつも通りにお茶を楽しんでいた。秋葉には翡翠や琥珀さんを警戒している様子など、全く見られなかった。それは俺への怒りが勝っているから、とは思えない。

「それでは……私は車を待たせてあるので」

 と、いつもらしい言葉を残し、秋葉が部屋を後にする。
 その時、秋葉を見送りに行く琥珀さんが俺を見て、ひとつウィンクをした。

「……抜かりなく万全、といった具合かな」

 俺はその後ろ姿を見ながら、下手に緊張していた自分がバカらしくなった。そして、今度は自分自身がうっかり口を滑らせないように気を付けなければと思った。

 そんなこんなで始まった新生活。
 さぁ、ぱーっと行きますか!