バタン!

 廊下のドアが激しく開けられて、何かが飛び込んできた。

「危ないっ!」
 そう叫ぶ琥珀さんに突き飛ばされ……本当に突き飛ばされてベッドの向こうの壁に叩き付けられた。
「ぐはぁっ!」
 俺が叫ぶと同時に、さっきまでそこに座っていた椅子が粉々に壊れていた。
「琥珀さん……マスターならそうらしく扱ってよ……」
 俺は背中を強打して一瞬息を詰まらせながら、そう悪態づく。
「すみません〜」
 そう笑う琥珀さんの表情が

「姉さん」

 その一言で、完全に曇った。
「姉……さん?」
 俺は琥珀さんに対峙するその姿に目をやった。


 ……翡翠じゃん

 そこには何の変装も加えていない、メイド服の姿のままの翡翠が立っていた。
 ただし、その体からはいつも以上に冷酷なオーラと、何故か闘気。

 俺が半ば呆れ加減で眺めていると、翡翠がこちらをぎろりと睨む。今まで以上に凄みのあるそれに、俺は思わずたじろいでしまう。
「マスター、しっかりしてください」
 いつの間にか横に来た琥珀さんに言われ、俺は改めて翡翠を見やる。

「……どういうことですか」
 翡翠はひとつ息を付くと、琥珀さんを今度は睨み付ける。
「姉さん、そちらの方は」
 琥珀さんは、いつになく神妙な面持ちで対峙する。
「セヴンスナイト……いえ、私の協力者です」
 そう言って俺に手を置く。
「翡翠……お前までどうしたんだ」
 俺は琥珀さんだけでなく翡翠までこんなコトになってる状況に不安を覚えていた。

「笑止」
 翡翠が、俺に冷徹に言い下す。
「なっ……」
 愕然とする俺を見て、翡翠はふっ、と不適な笑いを浮かべる。
「私は翡翠……なぞと言う名前ではない」
 そう言うと、翡翠は突然両手を構える。
「!?」
 俺は身構えるが、横の琥珀さんは全く動かない。気付いていないのか、慌てて守ろうとするが……

「メイド少女、くんふージェイド!」

 と、なにやら両手を回すような妖しい構えで琥珀さんの時と同じように決めポーズをする翡翠。

「……」

 俺はその突然の行動にあきれかえるが、
「わぁ!ジェイドちゃんったらばっちり出来るようになったじゃないの!」
 隣では琥珀さんが嬉しそうにパチパチと拍手を送っている。
「これも振り付けを指示してくれた姉さんのお陰です……」
 と、頬を赤く染めて俯き加減に翡翠が答える。

 やべ、超可愛い。
 ……じゃなくて、決めポーズは魔法少女界でのお決まりなのか?
 なんだかどんどん現実離れしてるのか近付いてるのか分からず、俺はため息をついてしまう。

「……!、そんなことより」
 やがてハッとしたようにジェイド(面倒だから翡翠と呼ぼう)が我に返る。
「姉さん、つまりは……」
 翡翠は恐る恐る、と言ったように質問をする。
 琥珀さんは改めて俺を見ると
「ええ、私はマスターと契約しました」
 キッパリと、強い意志を持った言葉で琥珀さんが答える。
「そうですか……」
 翡翠はその言葉を聞くと、僅かに俯いてしまう。
 何か思い詰めたような顔。……と、その顔が見る見るうちに赤くなる。

「あれ?」
 俺がそれを確認すると、翡翠は急に俺に目を会わさぬようにもじもじとしだすと
「つまり、姉さんは……その……」
 と、恥ずかしそうに呟いて、続きが言えず黙り込んでしまう。
「あら?ジェイドちゃんったらウブなんだから、かわいい〜」
 琥珀さんはにっこり笑いながら、俺の方を見る。
「すみませんねマスター。ジェイドちゃんってまだ契約したこと無いので、恥ずかしがってるんですよ〜」
 そう言ってあははーと笑う琥珀さんに、翡翠がばつの悪そうに
「ね、姉さんっ!」
 それ以上言うのを押しとどめる。
「だってそうでしょ?」
 琥珀さんは俺の腕に自分のそれを絡めると
「ジェイドちゃん、契約は気持ちいいわよ〜。私もさっきマスターと愛の交わりをして、この中にたっぷりとその精を注いで貰ったんだから〜」
 ねー、と俺に同意を求める琥珀さん。
 
 俺はと言うと、いきなり先程のコトを公言されてしまい、真っ赤になってしまう。
「まぁ……その……」
 俺は柄になく照れると、頭をぽりぽりと掻いてしまう。
「そういうコトだ……翡翠」
 そして翡翠を見ると、顔中から湯気が出るほどに赤くなって俯いている。
「だから……翡翠じゃないです……」
 そう弱々しく否定するが、恥ずかしさに声も消えそうで何だか余計に可愛く映ってしまう。
「あら〜、マスターもジェイドちゃんも揃って真っ赤になっちゃいました〜」
 琥珀さんだけは楽しそうに手を合わせて喜んでいる。
 まぁ、契約というのが必要な魔法少女界では、琥珀さんの発言はそんなに恥ずべき事ではないのだろうから、俺達の反応がある種特殊なんだろうけど。
 それでも、やはり情事というのは秘密にすべきコトだとは思う。実は琥珀さんは俺達をからかっているのか?そう思ってしまう。

「……姉さん」
 突然、翡翠が顔を上げる。そのまま何故か恥ずかしさに半泣きの表情のままキッと俺達を睨むと
「分かりました。そちらがマスターなんですね?」
 と、怒りの瞳を俺に向ける。何だか敵意ビンビン感じるんですけど……
「こうなったら、例え姉妹でもあなたを敵です」
 ……なんか今、文法が違っているような気がしたが……
「あなた達の与えた屈辱、許しません」
 そう言って、ビシッと構えを見せた。
 ……いや、どっちかと言えばそれに恥ずかしがる翡翠か、からかった張本人の琥珀さんが悪いと思うんですけど……

 そう俺が反論する隙も見せずに、なにやら怪しい動作を始める翡翠。
「地獄を、お連れします」
 それは何だか微妙に文として合っている気がする……

 俺は呑気にそんな事を考えてたが
「はあっ!」
 翡翠の気合い一閃。

 ドガァッ!

 俺だけが訳も分からず吹き飛ばされていた。
 さっきと同じように俺はベッドの向こうの壁に叩き付けられた。
「がはっ!」
 一瞬呼吸が出来なくなるが、何とか意識は保ってるようだ。

「あ……たたた」
 油断していたせいもあったが、その動きが見えなかった。
 俺が苦痛の表情を浮かべながら立ち上がると

「大丈夫ですか、マスター!?」
 いつの間にかそれを避けていた琥珀さんが駆け寄ってくる。
「ああ……何とか」
 とりあえず体は動きそうだ。
「だめですよ〜ボーッとしてちゃ。ジェイドちゃんの攻撃は危ないですから、ちゃんと見ないと〜」
 苦笑いして琥珀さんが忠告する。
 ……って、琥珀さんは翡翠の攻撃が分かってて避けたなら、俺にも教えてくれよ……でも多分、さっきと同じように壁に突き飛ばされてダメージは一緒なんだろうな。

「ほう」
 翡翠は感心したように声を上げると、俺の方を見る。
「私の拳をまともに喰らいながらすぐに立ち上がるとは、流石は姉さんがマスターに選んだだけありますね」
 そう言って自然体を取っていた翡翠が、またも構え出す。
「なら、今度は容赦しません」
 そう言うと、翡翠は腕をゆっくり掲げると……

「暗黒……翡翠拳……!」
 そのまま、グルグルと回しだした。

「プッ!」
 そのあまりにおかしな動作に、俺は思わず笑ってしまった。
「マスター!?」
 そんな俺の行動に驚き、琥珀さんが語りかける。

「だってさ、あの動き……ククッ」
 俺は口を押さえて吹き出しそうになるのをこらえ、空いた手で翡翠を指さす。
 なんて言うか……顔は真面目なのに盆踊り?と言った動きが、状況とのギャップを感じてついおかしいモノに映ってしまう。
「そんな場合じゃないですよ」
 琥珀さんが意外に真面目な顔をして俺を制する。

「暗黒翡翠拳は一子相伝の秘技で、ジェイドちゃんはその正式継承者なのです。……ああなってしまったらジェイドちゃんは手が付けられません。狭い空間も不利ですし、こうなったらいったん引いて、体勢を立て直しましょう」
 そう言うと、俺の腕を琥珀さんががしっと掴む。
「立て直すって……、翡翠が居るのに?」
 部屋の外に出ようにも目の前には対峙している翡翠がいて、その後ろのドアに逃げ込むなんて到底無理だ。
「一体どうしようって……」
 俺が聞き出す前に
「イエーーーーーーーーー!」
 琥珀さんが陽気に叫んでいた。
 そのまま、一瞬で部屋の景色が消し飛び……本当に俺は空を飛んでいた。

「!?……あああああ!?」
 俺は訳が分からず、空中に放り出されたと思ってもがく。
 が、そのがっちりと掴まれた手の感触を思い出し、その方を向くと……
「ダメですよ、しっかり捕まってくださいね〜。イエーーーーィ!」
 と怪しく目を光らせながら琥珀さんがほうきに跨っていた。
 そこで初めて理解した。
 琥珀さんは俺の手を掴みながら、ほうきで窓から逃げ出したのだった。

 改めて前を見ると、窓際で驚愕の表情の翡翠。
「……!待ちなさい!」
 その声は届かず、そんな表情を見せながら翡翠は部屋の奥に消えていった。

「ちょっと、琥珀さんもう少しゆっくり!」
 俺は体中に当たる風に服を切り刻まれながら叫ぶ。
「そんな、ジェイドちゃんに捕まっちゃいますよ?」
 いや、それはないと思う。
 声が聞こえなかったんだから音速より早いのでしょう?衝撃波まで出てるんだからさ……
 このままじゃ俺が翡翠にじゃなくて空気にやられちゃいますよ……

 なのに、琥珀さんはお構いなしに更に速度を上げる。
「それ〜!」
 ……多分、琥珀さんは車を運転させたらスピード狂になるな。
 俺はそんな事を思いながら、命が惜しいので黙ってるコトにした。衝撃波だけは避けようと、ほうきの穂に必死にしがみついていた。
 なんか、マヌケだ……
 悲しみに涙をこらえながら、俺は運命を琥珀さんに任せるしかなかった……

「よっと……とりあえずここまで来れば大丈夫でしょう。マスター、このお屋敷は広いですね〜」
 とりあえず、木々の邪魔しない広い場所に出た。ここで迎撃すれば動き回れるから安心か。
「そう……ありがとう……」
 しかし俺はほうきで振り回されて、身も心もボロボロだった。が、とりあえずポケットに手を入れて、七夜の短刀だけは確認する。
 使わないとは思うが、やはりいざという時の為の心の支えとして十分な効果はあるからだ。

「ではマスター。ここで……」
 琥珀さんがそう言った時だった。

「見つけましたよ……姉さん」

 ゆらりと、木々の向こうからその姿を現したのは……翡翠だった。

「あ……ジェイドちゃん、早かったわね」
 琥珀さんは少し驚いたように言うが
「そりゃ、姉さんが空を意味無く旋回していたり宙返りしたりしていたからでしょう」
 さも当たり前のように、翡翠は呟いた。
「琥珀さん……」
 人が必死にしがみついてると思ったら、そんな事してたんですか……

「あははー、そうかしら?」
 俺がジト目を向けると、誤魔化すように琥珀さんは目を合わせてくれない。
 代わりに、キッと翡翠の方に目を向けて
「とにかく!ここはマスターの為にも、相手がジェイドちゃんでも容赦しませんよ!」
 挑戦状をたたきつける。きっと話を逸らそうという魂胆だろうが、翡翠はそれを真に受ける。
「分かりました、姉さん。いつかはこういう日が来ると思っていました……」

 深く瞳を閉じ、呼吸を整えるような翡翠……そして、目が見開かれると
「行きます!あなたを、勝負です!!」
 やはりどこかおかしい言葉を叫びつつ、翡翠は……俺に!?
「覚悟!」
「わわわっ!?」
 俺はとっさに飛び退く。

 ズサァァ

 さっきまで立っていたその地面が、大きくえぐれる。
「なっ……!?」
 見えなかった。何がそうさせたのかが。
「ふっ……まぐれですね」
 翡翠は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに気を取り直してこちらに体を向けてきた。
「はぁっ!」
 瞬きをする間に、一瞬で差を詰めて来る。
 その瞬間、俺は体が自然に攻撃を受け止めていた。

「がはぁっ!」
 ブロックした上から、強烈な衝撃が俺を襲う。そのまま軽く吹き飛ばされて、バランスを失い転がってしまう。
「くっ……」
 あの攻撃を受け止めようとしたのが失敗だったか……自分の浅はかさに辟易しながらも、目だけはしっかりと翡翠を見る。
 軽くステップを踏むようにして、そこにはまさにクンフーの達人が如く翡翠。

 琥珀さんが俺に駆け寄り、肩を貸す。
「マスター!?」
「いや、大丈夫だよ」
 機先を制し、俺は琥珀さんに話しかける。
「どうやら、ジェイドは俺が狙いのようだな」
「そうなんです……私達が契約した場合、その協力者を倒すと契約が無効になるのです。たぶんジェイドちゃんはそれを狙って……」
 すまなさそうに言うが、それは契約してしまった以上仕方がないだろう。

 たまには、こういうのも面白いじゃないか……
 少し前の事を思い出すと、なぜか体の血が騒いでいるのが分かった。
「マスター……」
 琥珀さんは心配そうに俺を見るが、逆に俺は笑ってやる。
「久しぶりに、血がたぎってきたよ」
 それは、七夜の退魔の血か。それともセヴンスナイトとやらの方の血か。
 俺は立ち上がると、琥珀さんをポンと押し、横にどける。

「来な、翡翠。相手になるよ」