「自分で勉強しろと言った建前、俺を止める事なんて出来なかったんじゃないんですか?」 俺は、電話をしている最中のあの秋葉の青ざめた表情を思いだし、少しだけ意地の悪い笑みを見せた。 「そうかもね。秋葉ちゃん、まさか志貴君がここまで切れ者だとは思わなかったのかもね」 朱鷺恵さんは俺を感心するように、でもからかうように言ってきた。 「あー、それ酷いなぁ。それじゃまるで、俺が普段からぼーっとしているだけの人みたいじゃないですか?」 俺は反論する。すると 「あら、違うの? 散々私に気を持たせておいて、全然相手にしてくれなかったのに? 私は散々志貴君の事を想って心を乱していたのに、酷いわ」 朱鷺恵さんは大げさに自分の体を抱き、首を振りながらいやいやとした。それから、むーと言った表情で俺を見る。でも、その瞳は笑っていた。 「う……それとこれとは話が……」 そんな朱鷺恵さんの小悪魔ぶりに、俺はうろたえるしかなかった。 「ふふっ、冗談よ」 といつもの笑顔に戻っていた。 「それにしても、あの時の志貴君の行動力ったら凄いね。感心しちゃった」 受話器越しの会話を思い出してか、朱鷺恵さんもくすっと笑っていた。 「でも……そうしてくれたから、今ここに志貴君がいるんだよね」 そう言って嬉しそうに俺を見つめる朱鷺恵さん。 あれから話は面白いように全て順調に進んだ。俺が理由を話すと、朱鷺恵さんは二つ返事で了解してくれた。 結局俺に変わらずそのまま受話器を落とした秋葉が、俺に向かって寂しそうに呟いた。 「そうですよね……兄さんの為ですものね……分かりました」 秋葉の言葉で、俺の上京はあっさりと決定したのだった。 「朱鷺恵さん。あの時秋葉になんて言ったんですか?」 俺は結局秋葉の口から語られる事の無かった言葉を、本人に伺う事にした。 「ああ、あれね。志貴君、知りたい?」 朱鷺恵さんもそのことを思い出し、クスリと笑っていた。そして、少し勿体ぶってから口を開いた。 「『男の人の我が儘を聞いてあげるのも、女の人の役目だよ』って言ったのよ」 その言葉は、何だが物凄く嬉しかった。 「秋葉ちゃんの事を考えて、敢えて「兄妹」って言葉を使わなかったのが良かったんだろうね。秋葉ちゃん、小さな声で「男と女……」って繰り返してたわよ」 朱鷺恵さん、秋葉の事を本当によく分かっていた。恐らく「兄妹」という言葉に置き換えたら、普段の秋葉なら反対したに違いない。それを黙らせる「男女」という言葉。策士ここにあり、といった感じだった。 「どうだったの? それから秋葉ちゃんに迫られた?」 突然自分の身に話が向けられ、俺はうろたえた。 「いや……」 そう言われると返す言葉がない。俺は真っ赤になって俯くしかなかった。同時に、ちょっぴりの罪悪感。 そうだ。 でも、こうして考えてみると全てが違っていた。 だから、今面と向かってそう言われると、改めて罪悪感を感じずにはいられなかった。 「まぁ……確かに認めます」 秋葉はあの日から、確かに積極的に俺を求めた。 「兄さん、兄さん……」 そう言って全身で奉仕してくれる秋葉に、心を動かされそうにもなった。 秋葉だけじゃない。みんなそうだったのだろう。でも誰も文句を言わず、俺の決めた事を黙って後押ししてくれた。 「でも朱鷺恵さん、俺はそんなつもりじゃ」 俺が言い訳しようとするのを遮って、朱鷺恵さんは優しく俺を見つめた。 「多分、私が秋葉ちゃんと同じ立場だったら、志貴君を絶対に引き留めたと思う。そうしなかったんだから、秋葉ちゃんは強い女の子だよ」 朱鷺恵さんの言葉が、強く響いた。 「だから、ここまで来た以上は志貴君にはがんばって勉強して貰わないとね。私も協力するわ」 朱鷺恵さんはやけに張り切って、握り拳を作るようにして俺を見る。 「そうですね、よろしくお願いします、朱鷺恵さん」 これからお世話になるのだから、ちゃんとしないと。そう思って俺は、頭を下げていた。 「こちらこそよろしくね、志貴君」 朱鷺恵さんも頭を下げ、それから二人して上げると 「ふふっ……」 何だかおかしくって、二人して笑ってしまった。 凄く、幸せだった。
|