丁度一ヶ月程前。 「……って、テストで人生が決まる訳じゃないんだから」 と、俺は自分なりの正論を言ったつもりだった。が 「いいえ、もっと遠野家の人間らしく、ちゃんと勉強をしてください!」 秋葉は自分のテストの結果が不甲斐なかったのだろうか、八つ当たりにも思えた。 「せめて良い大学に進学して、そこで経済学とか勉強して貰わないと……兄さんが遠野家の当主として威厳を持って貰わないと、私……」 そう言って秋葉が少し複雑な顔をする。 「兄さんには、私に相応しい男性であって欲しいのですから……」 と、秋葉は顔を真っ赤にしながらそう言った。 「あ?」 俺はちょっとだけ間抜けな顔になってしまった。秋葉は酷い勘違いと妄想をしているようだ。 「だって血が繋がっていないのですし、それなら愛する二人の間に問題なんて無いじゃないですか。兄さんが当主で私がサポート役……ああ何て美しい姿なんでしょうか」 既に目がうっとりと遠くを見つめてしまっていて、俺には追いつけない世界に行っていた。 「あのー、秋葉さん……?」 部屋の片隅では、翡翠がいつものようにすましているが、その心中はどうだろうか。アニとして少しだけ情けなくもすまなく思ってしまった。 「……とにかく、秋葉は俺が勉強してくれればいいんだろ?」 俺が秋葉の妄想を断ち切るように話を進めると 「……そ、そうですっ! 兄さんは3年生なんですから、受験勉強も始めなくてはいけない時でしょう?」 言われてみればそうだった。そろそろ俺も遅ればせながら進学を考えないといけない。有彦はフリーターとかで落ち着きそうだったからそういう空気を感じなかったが、クラスメイトは大学を選び出したり、勉強を始めていたりした。 「わかった、俺なりに考えてみるよ。翡翠」 そうか、もうそんな時期なんだよな…… 部屋に帰ると、秋葉に言われた事を思い出していた。 「なら……あ」 俺は、ふと思いついた。
「秋葉、決めたよ。予備校に通う事にする」 その日の夜、食事後の団欒の中俺は秋葉に告げた。 「えっ?」 秋葉は俺の即断に少々驚いたようだった。それから少し寂しそうな顔を見せる。 「そんな……家で家庭教師を雇ったりとかして、兄さんがわざわざ出る事はないのに……そうすればもっとお話もできるのに……」 秋葉はどうやら、俺と一緒に夏休みを過ごしたかったらしい。なのに自分が言い出したとはいえ、勉強の為に普段と変わらないような生活になってしまうのかと、残念そうだった。 「これは秋葉を思っての事だ。許してくれ」 俺が頭を下げると、「秋葉を思って」と言う言葉が効いたか、秋葉は黙ってしまった。 「私のため……それはまぁ、仕方ないですが……」 ごにょごにょと顔を赤らめ、俯いて口籠もる秋葉は見ていて可愛かった。しかし、俺はそんな秋葉に続けて提案をした。 「と言うわけで、どうせ行くなら少しでもレベルが高い方がいい。だから俺は東京に出ようと思う」 その一言は、秋葉にとってみれば衝撃の一言だったに違いない。 「ええっ!?」 がたんとソファーを揺らし、慌てたように立ち上がった。 「東京って、ここから通うんじゃないんですか!?」 いかにも正論を並べ立てて、俺は秋葉を言いくるめた。 「それは、その……確かにそうですけど……」 秋葉は混乱したように、しかし俺の言葉に反論できないでいた。 「でもっ、住まいは、住まいはどうするんですか?」 秋葉は俺をここに引き留めようと、それでも必至に抵抗した。 「大丈夫、朱鷺恵さんの家がある」 朱鷺恵さん、と言う言葉に秋葉は今まで以上の衝撃を受け、絶句してしまった。それどころか、秋葉の横にいた琥珀さんや俺の後ろに控えていた翡翠までもが驚いているようだった。 「ほら、朱鷺恵さんあっちの大学に進学しているだろ? それに部屋も空いているようだから、昼間は予備校に通っている俺くらいが少しの間居候したところで問題はないはずさ」 時南朱鷺恵 さっき自分の部屋でその人の名前を思い出した時、姿を思い出した時、言い表せない喜びを感じていた。 丁度去年の夏。 そして……俺の初めての人。 誰よりも大切にしたい、絶対に離したくないと、初めて感じさせてくれた人だ。 もう一度、やり直してもいい…… 朱鷺恵さんの言葉に、俺はその含みを感じずにはいられなかった。 「遊びに来て」とは言われながらも、どうしてもそのきっかけを掴めないでいた自分。 秋葉、翡翠、琥珀さん、シエル先輩、そしてアルクェイド…… そんな俺の我が儘を、彼女たちは受け入れてくれないのかも知れない。 俺は、遠野志貴は。 だから、俺は思いだしていたのかも知れない。 俺は口に出した時、はっきりとそう自覚していた。それは今までで一番意志の籠もった声。 「ですけど……こちらの一存ではそんな事は決められません……」 秋葉は俺の瞳に、俺の思いを感じ取ってしまったのかも知れない。 「大丈夫。俺が自分で話を付けるから」 そう言うと、俺は立ち上がった。そのまま部屋を抜け、ホールの隅にしつらえた電話を取り、前もってポケットに忍ばせて置いた紙切れを取り出していたのだった。 『……はい、時南です』 |