「はぁ……」 部屋に入ると、俺は真っ先にため息をついてしまった。 「これは、広すぎるよなぁ……」 俺を中に迎え入れた朱鷺恵さんはお茶を用意しながら、台所でこちらを振り返った。エプロン姿でそう言われると、物凄くこちらが恥ずかしい気持ちになる。 「何でも、遠野家の方がこちらに出てきた時に使うように用意していて、今はもう使わなくなった部屋だって。売るのも面倒だからそのままになっていたのを、私がこっちに進学する時に借り受けたのよ」 その説明に、バブル時代のマンション事情を何となく考えてしまった。恐らく、都心のこんな一等地のマンションなんて、億は下らなかったのではないだろうか。改めて、遠野家がどういう家なのかが分かったような気がした。 「志貴君、外は暑かったでしょ?」 と、まだくるくると部屋に視線を投げかける俺の前に、お盆を持って朱鷺恵さんがやってきた。そのまま俺の座るソファーの向かいに腰掛け、ガラスのテーブルに氷の詰まったグラスを置いた。注がれる紅い液体。ピシピシと小気味よい音を立てて氷が軋み、溶け出す。 「はい、どうぞ」 と、朱鷺恵さんはマドラーでかき混ぜたそのアイスティーを俺の前に差し出した。ガラスのテーブルにコトリと置かれるそのグラスを、俺は嬉しく手に取った。 「ありがとう。いただきます」 俺は早速その液体を流し込んだ。喉を通るその心地がたまらない。外の猛暑で汗をかいた体に染み渡るようで、体温が一気に下がる様だった。 「はぁっ」 俺は大半を飲み干して、端から見ればそりゃ幸せそうな顔でグラスを置いたと思う。 「ふふっ。志貴君、まるで砂漠を歩いてきたみたいね」 朱鷺恵さんは、そんな俺を見て面白そうに笑った。 「そうですよ。この広い東京砂漠、住所だけで探すの結構苦労しましたからね」 そんな朱鷺恵さんに、俺は冗談交じりに返す。 「そうだったの……駅で電話してくれれば良かったのに」 朱鷺恵さんはそう言って俯き、少しすまなそうにしたから 「いいんですよ。こっちに来たのは俺のワガママなんだから、そこまで朱鷺恵さんに迷惑はかけられませんって」 俺はぱたぱたと手を振り、慌ててそれを否定した。 「……そう?」 少し不安そうに上目遣いで俺を見る朱鷺恵さん。 「そうですって」 顔を赤らめ、俺は目を反らしながら答えた。 「なら、よかった」 嬉しそうに手を合わせ、にこっといつもの笑顔に戻る朱鷺恵さんが本当に可愛いと思った。 ころころと表情を変えるこの人のこんな所が、俺は大好きで。 こうして他愛のない会話だけでも、どんどん朱鷺恵さんの事を好きになっているみたいで、凄く幸せな気持ちだった。 「そう言えば志貴君、さっき俺のワガママって言ったけど……良くこっちに来れたよね?」 ふと、思い出したように朱鷺恵さんが俺に聞いてきた。 「え? ……ああ、それですか」 俺はそんな朱鷺恵さんの質問に、事の成り行きを思い出し、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべてしまっていた。 「秋葉ちゃんの事だから、「夏休み位は屋敷で一緒にいて下さい!」位は積極的に志貴君に迫ると思ったんだけど……」 朱鷺恵さんは半ば冗談というように、俺をからかうように見つめてきた。その証拠に、瞳は決して嫉妬にまみれたそれではない。明らかに俺の反応を楽しんでいた。 「まぁ、普通だったらそうなったかも知れませんけど、今回は秋葉の身から出た錆ですからね」 そう言うとアイスティーを一口して、今日までの秋葉の反応を思い出していた。 「それに、朱鷺恵さんのお陰でもありますよ」
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