部屋に帰ると、俺はシャワーを浴びた。
 結局かなり濡れたし、風邪でも引いたら勉強に差し支える。
 髪を乾かしてリビングに戻ると、食卓にはおいしそうな香りが漂っていた。

 夕食を終え、朱鷺恵さんが遅れてお風呂に入る。俺も後は寝るだけになるよう、今日の雑務を片付けた。
 仲良くふたりでティーセットを用意して、ソファーに並んで座る。
 そうして借りてきたビデオをセットして、俺はリモコンの再生ボタンを押した。

 ちょっとだけ雰囲気を出そうと、部屋の電気は消してある。そんな薄暗いホームシアター。
 青い画面から暗転の後、懐かしい映画は始まった。

 内容は、殆ど忘れていた。
 いや、当時の俺は横に朱鷺恵さんが一緒にいる事にドキドキで、映画を楽しんでいる暇なんて無かったのかも知れない。
 沢山の映画に埋もれる、なんて事のない作品。
 でも、俺達には思い出深い作品で。
 紅茶を傾けつつ、ふたりして懐かしむようにしてそれを見ていた。
 言葉はない。
 でも、気持ちは一緒だと信じている。

 俺は映画の合間に朱鷺恵さんを見た。
 青白く浮かぶ朱鷺恵さんの肌は、何とも言えぬ幽玄の美しさを備えて、いつもと違ってとっても綺麗だった。
 そんな視線を感じて俺の方を振り向くと、朱鷺恵さんが映画に集中しなきゃダメ、というように俺にメッ、と笑う。
 俺も笑って、画面を見つめ直す。
 すると今度は、そんな俺に視線。
 ふと横を見ると、朱鷺恵さんが俺をじっと見つめていた。
 すかさず、同じようにメッと笑ってあげると、ふたりで笑った。

 映画は続く。
 終わらなければいいのに、そう思う映画もクライマックスに近付いてゆく。
 そんな時間の経過と共に、心はあの夏に戻っていったようで。
 流れる映像と共に、あの夏の記憶がはっきりと蘇る。

 憧れていたあの人を、誰よりも愛しいと思えたあの夏。
 思い出では終わらせたくはない、忘れられないあの夏。
 偶然が運命に変わっていったあの夏を、思い出していた。
 俺は……朱鷺恵さんを……愛している。
 そんな思いが、静かだが確実に、強く俺の中で大きくなっていった。

 ……肩を、抱いた。
 ゆっくりと、気付かれないように。
 朱鷺恵さんは、触れた肩を僅かに震わせて。
 それから、安心したように俺の肩に頭をもたげる。

 ……何も、言わない。
 言葉なんて、いらない。
 ただそのまま、肩を寄せ合うだけで。
 あの頃の気持ちを、もう一度確かめ合っていた。

 ……映画は、終わった。
 真っ暗な画面から、急に砂嵐のノイズ。
 終わったのに、動かない。
 動きたくない。
 それでも、気怠い気持ちを何とか動かして、リモコンに手を触れた。

 スッ……

 指先に、絡みつくもう一つの手。
 その手に導かれテレビの電源を落とす。
 リモコンをカチャリとテーブルに落とすと、そのまま手を絡め合う。

 追いかけるように
 逃げるように

 互いの感触を求め、蛇のようにうねるふたつの手。
 最後に、ぎゅっとどちらともなく手を握ると、視線を手から段々と付け根に移した。

 白い腕
 華奢な肩
 首筋
 そして……

「……」

 かすかに潤んだ瞳
 吸い込まれる
 どちらともなく、距離が近付いた
 気持ちは、一緒だ
 すっと、鼻先がクロスするようにして

 唇を、重ねていた

 ぎゅっと、背中に回される腕
 かえすように、背中を抱く
 ふたり、手は繋いだまま
 互いの背中をさするようになで回す

 きゅっと、俺のシャツを掴む腕
 目の前で、快感に揺れる姿
 そっと、唇を離すと
 うっすらと開いた瞳が、見つめていた

「志貴君……」

 顔を俺の胸に埋めながら、朱鷺恵さんの声が聞こえた。

「……ずっと、寂しかった。……ずっと、忘れなかった。志貴君、寂しかったよ……っ」

 泣いていた。
 声も出さずに、泣いていた。
 あの気丈な朱鷺恵さんが、涙を流していた。
 ぎゅっと、その頭を抱えるようにして抱く。
 その美しい髪を撫でながら、朱鷺恵さんの肩の震えが止まるのを、待ち続けた。

 どのくらいこうしていたのだろうか。
 朱鷺恵さんの体温が、伝わってくる。
 優しい、暖かい温もりが伝わってくる。
 少しだけ空調の利いたこの部屋で、それは夏の温もり。

「……」

 ふっと、朱鷺恵さんの香りが動く。
 顔を上げ、少しだけ紅くなった瞳が、俺を見つめていた。
 その瞳に映る俺は、いったいどんな顔をしているのだろう。
 ワカラナイ。
 ワカラナイ、でも。
 俺は、精一杯の笑顔を見せた。

「志貴君……抱いて」

 朱鷺恵さんが、その綺麗な唇を震わせて俺に願う。

「あの夏の日のように、私を抱いて……」

 つつっと、どこからまた溢れ出したのか、一筋の涙が頬を滑り落ちた。

 静かに、しかし確実に燃え上がる炎。
 体を動かす熱が、全身にゆっくりと伝搬していった。


 









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