「朱鷺恵さん?」

 俺はその姿に、驚きを隠し得なかった。
 いつものピンクを基調とした格好に、ちょっとだけ濡れた肩先。
 下を向いてコツコツと傘の先で地面のタイルを突っつきながら、楽しそうにしていた。
 そんな姿が余程似合うのか、通り過ぎる男達が視線を向けている。
 俺は、そんな朱鷺恵さんが他の奴らに見られてると思うと、ちょっとだけ悔しい。

 そう思った時。
 朱鷺恵さんはふと顔を上げ、俺の姿に気付いたようだった。

「あ、志貴君」

 嬉しそうに、朱鷺恵さんが俺のそばにやってきた。

「朱鷺恵さん、どうしてここに?」

 俺は信じられない、といった風に尋ねる。

「だって、朝あれだけ言ったのに傘持っていかないんだもん。雲行きが怪しくなったから迎えに来ちゃった」

 微笑んで、朱鷺恵さんは当たり前のように答える。

「そんな……」

 凄く嬉しかった。
 同時に、凄くすまなく思った。
 朱鷺恵さんに、これだけ迷惑かけまくっている自分が。

「……ゴメン」

 謝りながらも、俺は笑っていた。
 そんな俺のシャツの袖を、朱鷺恵さんはちょっと嬉しそうに引っ張る。

「いいの、私も来てみたかったし。それより、ね、帰ろう?」

 と、俺は朱鷺恵さんの手に握られてる傘に目をやった。

「……1本しかありませんよ?」
「……あ」

 朱鷺恵さんが、今それに気付いたように驚いて、顔を赤らめた。

「やだ……志貴君を迎えに行こうと思ったら何だか嬉しくって……私ってドジね」

 舌を出しながら、朱鷺恵さんが俺を見つめた。
 そんな何気ない仕草が可愛くて、つい俺も笑ってしまう。
 なんだかんだで、朱鷺恵さんもおっちょこちょいだな。
 ちょっとだけ朱鷺恵さんが拗ねた顔で笑った俺を見るが、それがまた微笑ましい。
 仕方ない、こうなったら雨が止むまでふたりで雨宿りかな……と思ったら

「じゃぁ、一緒に入ろう?」

 と、当たり前のように朱鷺恵さんが歩き出す。
 え……?
 それってつまり、相合い傘?

「ちょ、ちょっと朱鷺恵さん?」

 俺は恥ずかしくなって、傘を広げる朱鷺恵さんに言うが

「ほら、そんなに狭くないから、ね」

 と、自分は早くも帰ろうとして、嬉しそうに朱鷺恵さんが俺を促す。
 まったく……この人はどうしていつも俺をドキドキさせるんだろう。
 でも、そんなところが朱鷺恵さんらしくて、俺は好きだった。
 だから、俺は苦笑すると、朱鷺恵さんから傘を持ち手を奪った。

「ほら、俺が差していきますから。入ってください」

 女性に傘なんか持たせられない。俺がそうすると朱鷺恵さんが今度は謙遜して

「いいよ、志貴君は荷物持ってるし……」

 そんな事を言うが、今度は俺が押し通す番だった。

「ほら、早く帰るんでしょ? 追いてっちゃいますよ?」

 俺はわざと歩き出そうとすると、そのバックを朱鷺恵さんが引っ張った。

「あーん、志貴君の意地悪。待ってよー」

 と、朱鷺恵さんは俺の横にスッと入ってくれた。

「そ、素直が一番。じゃぁ行きましょう!」

 俺達はひとつの傘にふたり、仲良く並んで帰る事となった。
 いつもの帰り道が、雨に濡れて陰鬱に映るはずの帰り道が、今日は特別に楽しく感じていた。

「志貴君、濡れちゃうよ」

 と、朱鷺恵さんは傘を突っついて俺の方に傾けようとするが、すぐに俺は定位置に戻す。

「そんな、レディーは雨になんて濡らせませんよ。それに俺は荷物だけでも濡れなければ問題ありませんから」

 と、朱鷺恵さんに雨が当たらないように、ちょっとだけ気取って言う。
 実際元々濡れて帰る可能性もあったわけだし、俺はそれくらい気にしない。
 ここまで迎えに来てくれた朱鷺恵さんに、感謝の意味も込めて。
 俺の半身はかなり雨に濡れているけど、そんな事はちっとも気にしなかった。
 そんな俺の気遣いに遠慮しているのか、朱鷺恵さんはいつもより小さくなって俺の横を歩いている。
 それがまた可愛くて、俺はずっと朱鷺恵さんを見ながら歩いていた。
 朱鷺恵さんは視線を感じているのか、ちょっと俯きながら無言のままで、俺も雨粒が傘を叩く音を楽しみながら、ふたり何も言わず帰り道を歩いていた。

「雨……止まないね」

 朱鷺恵さんがぽそっと、そんな事を言う。

「止まなかったら、ずっとこうしていられるね」

 それが嬉しいのか、朱鷺恵さんがやっと微笑んで俺の方を見た。

「そうだね。ちょっとだけ夕立に感謝、かな?」
「うん」

 と、朱鷺恵さんが俺の傘を持つ腕に自分の腕を絡めてきた。

「朱鷺恵……さん?」

 突然の行動にビックリして俺を見ると、朱鷺恵さんも少し赤くなって俺を見ている。

「もっと近付けば、志貴君も濡れないよ?」

 と、腕に力を込め、俺を引き寄せるようにしてきた。
 腕に当たる、暖かい感触。
 それは反対の腕に当たる雨の冷たさと反比例して、より熱く感じさせた。
 ぴったりと寄り添うふたり。
 いつしか朱鷺恵さんは俺に少しだけ体を預けるようにして、歩いていた。

 ……朱鷺恵さんのいい匂いがする。
 それと、胸の感触が腕に当たって、柔らかかった。
 そうされるのが物凄く嬉しいけど、同時に恥ずかしくて。
 俺は真っ赤になりながらも、困ったように歩いていた。
 ドキドキが、腕を伝って朱鷺恵さんに届きはしないか。
 ちょっとだけ緊張した俺が、なるべく朱鷺恵さんを見ないようにしながら前を見て歩いていた時、レンタルビデオのお店が目に入った。

「そうだ。何か借りていきます?」

 俺はお店を指さしながら、朱鷺恵さんに尋ねた。
 幸い明日は授業も休みで夜は暇になる予定だったし、ゆっくりふたりの時間を持つには丁度良いと思った。
 それに、このままだとドキドキが爆発しそうだったから、ちょっとだけ逃げ出したい思いもあった。嬉しいんだけど、恥ずかしい。そんな俺の気持ちを悟られないよう、あくまで紳士に話しかけていた。

「そうだね。ちょっとだけ雨宿りってのも良いかも知れないし」

 朱鷺恵さんは少しだけ残念そうに、俺を見て拗ねた様子だった。
 あ、ばれちゃったかな?
 俺は心の中でゴメンと思いながらも

「そうと決まれば」

 俺は朱鷺恵さんを連れて店に向かっていった。

 

「あ……」

 何を見るでもなく、ふらふらと店内を散策していた時、向こうの方から朱鷺恵さんの声が聞こえた。
 何を見ようか迷った時、ふたりで映画にしようと決めた。
 見たい映画は朱鷺恵さんが選んでください、俺は全権を委任していた。

「見つかりましたか?」

 俺はラックの陰から首を出して、それから朱鷺恵さんの横に立った。
 朱鷺恵さんはちょっと懐かしそうな顔で手にしたパッケージを見ている。
 何の映画だろう?
 俺がそう思って、それを覗き込んだ時だった。

「あ……」

 同じように、俺もその言葉だけが発せられていた。

「あの時の……」

 そう、これは。
 たった一度だけのデートで、ふたりが見た映画。
 傑作と言うではなく、でも一緒に見ただけで嬉しかった映画。
 時の中に埋もれていた思い出を引き出すタイトルに、俺は懐かしい気持ちになっていた。

「これ……もう一度見よう?」

 朱鷺恵さんの笑顔に、俺ははっきりと頷いていた。

 店を出ると、雨は止んでいた。
 まだ曇る空だが、遠く向こうからは真っ赤な夕日が差し込んでいる。雨に屈折してか、いつもよりも紅く見えるその神秘的な空を、ふたりで綺麗だと見上げていた。
 そうして

「……朱鷺恵さん?」

 俺の手を握る手。
 朱鷺恵さんがぎゅっと、その手を引っ張った。

「雨が止んじゃったから傘は差せないけど……今度は手を繋ご。ね?」

 朱鷺恵さんの導くまま、俺は歩き出す。
 ええ、もちろんですとも。
 声には出さず、そんな朱鷺恵さんの手をしっかりと握り返していた。

 離れないように。
 離さないように。

 まだ、楽しい帰り道の続きが残っていた。


 









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