「姉さん!」

 私はその姿を見つけると、足が取られるのも気にしないで走り寄りました。

「あ……」

 姉さんは、その叫び声にようやく気付いたようです。

「翡翠……ちゃん?」

 こちらを見て、うっすらと笑顔を浮かべました。
 その笑顔はあまりにも美しくて、私の足を立ち止まらせます。
 しかし、それは……

 死を予感させる、儚い笑顔でした。

「姉さん……」

 見れば、姉さんの肌は真っ白で、唇は青白く色を失っていました。

 死化粧とも言える美しさ。

「どうしたの……翡翠ちゃん?」

 姉さんは体をこちらに向けると、不思議そうに訪ねました。

 姉さんは、壊れていた。

「姉さん……こんな……ところで……」

 私がそれ以上言う前に、姉さんは笑いました。

「うん。雪を、見ていたの……」

 姉さんは嬉しそうに空を仰ぎ、手をかざします。

「ほら翡翠ちゃん、こんなに綺麗だよ……」

 そう言って私を見る瞳が、おかしかった。

「私ね……こんな白く切ない景色……綺麗な雪化粧に包まれて……最期を迎えられたらいいなぁって、思ってたの……」
「最期……!?」

 私は、その言葉に衝撃を覚える事しかできなかった。

「そんな……」
「翡翠ちゃん……私ね、おかしくなっちゃったの……志貴さんの事を好きになっちゃって……おかしくなっちゃったよ」

 姉さんは、笑った。

「でもね、分かってたよ……志貴さんには、翡翠ちゃんがいるって……妹の恋人を好きになっちゃうなんて、私はお姉さん失格だね……」

 少しおどけるようにして言うが、私は表情を緩める事が出来なかった。

「だけどあの日、分からなくなって……翡翠ちゃんを眠らせちゃったの……」

 そうだった。
 姉さんはあの日、私を部屋に誘い、お茶を一緒に飲みました。
 私は何の用心もなく、それを頂いたのですが……
 気付いた時には、遅すぎました。
 七夜になった姉さんが、こんな事をするなんて……

 あの日、私は志貴さまに抱かれる筈でした。
 だから……代わりに姉さんは……

 なのに次の日、目覚めた私に志貴さまのあのお言葉。
 姉さんと志貴さまには何もなかったのか、そう思える言葉に、私は安堵と疑問を抱き続けていました。
 しかし、私は問いつめる事は出来ませんでした。
 そんな事をして、姉さんを追いつめたくなかったのです。

「あの日ね……志貴さんは、たった一つだけ私にしてくれた事があったの……」

 姉さんは懐かしい思い出を語るように、穏やかに私を見ます。
 そして……あの仕草をしました。


 指先が、姉さんの唇をそっとなぞりました。
 同時に、身体中がブルブルと震え出しました。
 そして、涙がすうっと一筋、姉さんの頬を伝ったのでした。


「この唇に……志貴さんの愛しさを感じてしまうたびに、わたし……だめになっていったの……」
「姉さん……」

 ようやく、全てわかりました。
 あの日、姉さんは震えていて……
 そうして、志貴さまにキスをされて……


 だから、いつも唇を指でなぞる仕草を見せていたのですね。


「私、信じてた。私のそばに志貴さんがいてくれる事を……でもね、それは一番じゃない。志貴さんのそばには、秋葉さま、そして翡翠ちゃんがいるって……」
「……」

「……うん。だから、私はいなくなってしまってもいい、そう思ってた」

 姉さんは頷くと、悟ったように語った。

「姉さん!」

 私は、叫んでいた。

「姉さんがいなくなったら、私は……どうすればいいんですか!?」

 たった一人の「姉さん」は、誰にも……そう、志貴さまにもかえられないと言うのに……!

「翡翠……ちゃん?」

 私は姉さんに歩み寄り、その手を握った。

 何て、冷たい。

 それは、全く体温を感じさせない肌。
 何時間こうしていたのだろうか、もはや凍傷に近いほどに赤く、震えている指先だった。

「姉さん……」

 私は、その指を暖めるように自分の胸に抱きました。
 すると、姉さんは微笑み、私を見ます。

「……この凍えた指先は、二度と志貴さまに届かないんだよ……」

 そう言う姉さんの表情が、あまりに切なく、悲しかった。
 それに気付いた時、私はショックを受けていました。

 なんてこと
 私は、自分を守りたいが為に、姉さんをここまで傷つけて
 志貴さまから、姉さんを引きはがしていたのですね……

 そのために姉さんを失ってしまったら、私はどうしたらいいのでしょうか。
 自分だけが可愛い、と思っていた自分に激しい嫌悪を覚えてしまいました。

 そして……

「……姉さん」
 
 私は姉さんを堅く抱きしめました。
 着物にも雪が積もっているほど、姉さんの体は凍り付いていました。
 もう後少しでもここにいたら、姉さんは本当に眠ってしまいそうでした。

「……行きましょう」

 私は深い決意と共に、姉さんに呼びかけました。

 もう、何も失ってはいけない。
 もう、何も恐れる事などない。

 わたしたちは、ふたりでひとつなのだから……

「志貴さまの元に……」

 戻ってきた道を振り返ると、遠くに見えるわたしたちの足跡は早くも雪に消えていく様でした。
 私は姉さんの体を支えながら階段を上り、奥の部屋に向かいました。