あれから、一月ほど経って、俺達はそろって二年生に進級した。始業式後のクラス替えの時、由利子さんには、
「絶対優君と同じクラスになりたいね。」
と言われたのだが、クラス編成のプリントを見て、少し悲しくなった。なんと、由利子さん、亮介、美月さんの三人はそろって同じクラスだというのに、おれだけが別のクラスになってしまったのだ。
由利子さんは本当にがっかりしていて、おれはなんだか悪いような気分になってしまった。
「…まあ、暇を見つけては顔を出すから。」
何とかそれだけ言うと、由利子さんは、
「うんっ、毎日来てくれたって歓迎するよ。」
笑顔で答えてくれた。
その日の放課後、早速由利子さん達のところへ向かうと、亮介が、
「学校も早く終わったことだし、四人でカラオケでも行かな いか?」
と提案してきた。別に悪くないと思ったから、
「いいけど、美月さんと由利子さんは?」
と二人にも聞いてみた。美月さんは、
「私はもちろん行くよ。」
二つ返事で了解してくれた。一方、由利子さんの方は少し悩んだようだったが、
「優君が行くなら…、私も行くね。」
と答えた。これにはちょっと驚いた。何となく由利子さんの性格だと、カラオケなんか行かない様に思ったからだった。
結局四人で、学校から電車で一駅隣の町のカラオケボックスに行くことになった。三時間ほどで、みんなで代わる代わる歌った。
最初、何曲かはおれと亮介で歌って、その間に美月さんが一曲入れるみたいな感じで進んだ。二時間ぐらいして、歌うレパートリーもなくなりかけた頃、おれは由利子さんがさっきから一曲も歌ってないことに気付いて、声をかけてみた。
「由利子さん、何か歌わないの?」
「うん…、私はこうしてみんなの歌うのを見てるだけで楽し いから。」
少し恥ずかしそうに言う由利子さんを見て、おれは何となく、彼女の歌も聴きたくなった。
「そんな事言わないで、一曲だけでいいから歌おうよ。」
「えっ、いいよ。私上手じゃないから。」
なおも由利子さんは断ろうとした。
「大丈夫だから、ねっ?」
彼女の目をのぞき込むようにしながら訪ねたら、彼女は少しうつむき加減で赤くなりながら、
「じゃあ、優君がそう言うなら…、でも一曲だけね。」
ようやくその気になってくれたらしく、彼女は何とか歌える曲を探し出し、リモコンで番号を入力した。
流れてきた曲は、半年ほど前スマッシュ・ヒットをした、某アイドルの歌うバラードだった。耳にしたことは少しあったけど、そのアイドルが少々音痴だったので、聞くに耐えないものがあったことを覚えていた。
由利子さんは、イントロ部分では少し緊張していたが、メロディに入ると、意外とすんなりと歌い出した。
あの時恋して そして言えなかった
あなたは今 何処にいるのかしら
きっと優しい彼女 側にいて
二人 微笑んでいるでしょう…
…言葉にならなかった。めちゃくちゃ上手で、澄んだ歌声が響いてきたからだ。他の二人も、驚いた感じで由利子さんを見ていた。当の本人は、意外にも歌うことに集中してるらしく、俺達の反応に気付いていないようだった。
いつも一歩引いてしまう そんな自分が嫌
掴めたはずの幸せも 空に消えていく
もし 一つ願いが叶うなら 私は祈る
自分に正直になって
本当の気持ち見つめて
好きといえる 私になりたい
「凄いなあ、あんな歌が上手なんて知らなかったよ。」
「そんな、恥ずかしいから…。」
「謙遜すること無いって。聞き惚れちゃったよ…その、きれ いな歌声でさ。」
「…ありがとう、優君。」
と由利子さんは少し赤くなって答えた。
帰り道。途中までは四人だったけど、亮介と美月さんとはさっきそこの角で別れた。今は二人、少し暗くなりかけた夕暮れの町を歩いていて、そんな時に出たのが前の会話だ。
由利子さんは照れ隠しのためか、顔を上げて空を眺めると、
「雲一つない空…、今日は星が綺麗なんだろうね。」
そうつぶやいた。
その時おれは、あることを思い出した。
「そう言えば、今からまだ時間ある?」
「えっ?」
由利子さんは少し驚いたようにこっちを見た。
「近くに、ちょっといい場所があるんだ。寄ってみない?時 間はかけないからさ。」
俺が提案すると、なんだか解らないって顔をしながら、
「いいけど…何があるの?」
その疑問を投げかけてきたみたいだった。
「まあ、それは行ってのお楽しみだね。」
そう言うと、少しこちらをねめつけると、
「何かずるい…。」
そしてすぐに笑って、
「いいよ、一緒に行ってあげる。」
そう答えてくれた。
「それで、何処にあるの?」
「まあ、それは付いてきてのお楽しみだね。」
わざと同じようにかわすと、彼女は笑いながらも付いてきてくれた。
「わあ…すごい、こんな所があるんだ…。町が一望できるん だね。」
おれが由利子さんを連れてやってきたのは、学校から北に二〇分位歩いたところにある、小高い丘の上の公園だった。最近整備し直されて、空き地同然だった場所が、町を一望できるような展望台を備えた立派な自然公園となっているのを、地元情報誌で知って、おれは何度か訪れていた。今度誰かを連れてこようと思ってたから、絶好の機会だった。
彼女の驚く顔を見ながら、おれは空を見上げると、
「それにね…えっと…」
と、本来の目的の「あるもの」を探し始めた。この時間なら、出てるはずなんだけどなあ…。
「?、何?」
由利子さんは突然のおれの行動に少し驚いたみたいだったが、おれは構わず続けた。そして発見した。
「…あった!」
突然おれが大声を上げたので、由利子さんは少々びっくりして、
「えっ、えっ?何が?」
おれに訪ねてきた。おれは指を天に向かって指すと、
「ほら、あそこ見てみてよ。」
と、彼女にも見せようとした。
遠くのものを指すときは、大体二人の見てる所は違っているという法則通り、彼女はそれを見つけられないみたいだった。おれは由利子さんの目線を見て、うまく指をその方向に誘導しようとしていて、ふと、彼女と目が合った。彼女は少し赤くなりながら、その方向を必死に見てくれた。
「もう少し右かな…。」
おれの呼びかけに、どうやら彼女も解ったみたいだった。少し驚いた顔をすると、
「…あ!あれ!」
とこっちを見て言った。
「一番星…。」
「まあ、俗にそう言うやつだと思うよ。」
そう、ここに来た本当の目的…実はここ、場所の関係か、はたまた気を利かせてか、外灯がほとんど無い。そのせいもあって、日頃見られない、こんなものまで見えたりもするんだ。おれはそれを見せたかったんだ。
由利子さんはそれを眺めながら、
「ここ、星がよく見える所なんだね。」
そうつぶやいた。
「もっと暗くなれば、いい眺めになるよ。」
一度経験済みのおれは、それを思い出しながら言った。でも彼女は少し残念そうに答えた。
「でも、今日はさすがにそんな遅くまでいられないよ。」
「そうなんだ…、見せたかったのに、仕方ないね。」
おれがそう言ったので、気を悪くしたとでも思ったのか、由利子さんは少し慌てながら、
「じゃあ、また日を改めて一緒に来ようよ。」
そう提案してきた。おれは頷くと、彼女は笑って、
「それじゃあ、いつがいい?」
そう聞いてきた。
おれは、先のことまであんまり考えない人間だから、いつでも良かった。けど、由利子さんにはバッチリな案が浮かんだらしかった。
「…じゃあ、七月七日ってのはどう?七夕だし、天の川なん て見たら綺麗だと思うから…。」
「いいね。それ。じゃあその日にしよう。」
「分かった、その日に絶対来ようね。」
彼女はとても嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうに答え、また星を眺めた。おれもそれに習って、何も言わないまま一緒になって眺めていた。
五分ぐらいそうしていただろうか…不意に、由利子さんがこっちを向いたかと思うと、かなり恥ずかしそうに下をうつむいて、そのまま、
「…ねえ、私たちの関係って、どうなのかな?」
そんな事を聞いてきた。突然の質問におれは少し驚いたが、
「どうって…、まあ、本当に仲のいい親友って所じゃない の?」
すぐにそう答えた。おれの中では、少々引っかかるものがあったが、なんだか分からなかったし、これがおれの答えだと思ったから別段気にも留めなかった。
すると由利子さんは、
「そう…、そうだよね…。」
そう答えた彼女は、ちょっと寂しそうな表情をしていた。でもすぐにいつもの笑顔に戻ると、
「ごめん、変なこと聞いちゃって。」
と言って彼女は、少し遠くの町並みを眺めながら、さっきカラオケで歌ったあの歌の、サビの部分を歌い出した。
もし 一つ願いが叶うなら 私は祈る
自分に正直になって
本当の気持ち見つめて
好きといえる 私になりたい
「…大好きなんだ、この曲。聞いていると、いつも不思議な 気分になるの。」
「…」
遠くを見て言う由利子さんの横顔は、どこか悲しげに思えた。
「さっ、優君、帰ろう。暗くならないうちに。」
その日の夜、おれは彼女の好きなあの曲のCDを借りてきた。相変わらず音のはずれたような歌い方はともかくとして、何故か今日は違った感じがした。
改めて、その歌詞を眺めてみた。そしてサビの所を読みながら、ふと俺は思った。
自分に正直になる…自分の本当気持ちって…
本当に俺が好きな人って…
この歌が失恋の歌だった、なんて理由は抜きでそんな事を考えていた。
今まで考えたこともなかった。片思いをしたこともあったけど、終わってしまえば子供の頃の気の迷いとまで思えるようなものばかりだった。それじゃあ今は…?
そう考えた時、この歌を歌う由利子さん、そして彼女の優しい笑顔がおれの中に浮かんできた。
その刹那
突然に、胸が苦しくなった。今まで感じた事なんて一度もなかった、自分ではっきりと分かる、それどころか他人にも聞こえてしまうような激しい鼓動で、言葉通り、本当に胸が締め付けられるようだった。言葉に出来ない、そんな想いが全身を駆け巡った。
「あ…ああ…」
おれは心臓を押さえながら、ただ、そんな声しか出なかった。激しい衝撃に似た感覚を覚えた。
初めて由利子さんを「好きだ」と意識してしまった。
喜びと悲しみと、希望と絶望とが入り交じった、そんな気持ちが、おれを支配していった。
「どうすれば…どうすればいいんだ…」
苦しくて目をつぶった目から、涙がこぼれてきた。
どうしようもなかった。ただ、溢れてくる想いに心を流されるしかなかった。
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