あれから、数ヶ月が経った。
 由利子さんとは、少しずつではあるが仲良くなっていった。ただ話をするだけだけど、彼女もあれからは敬語なんか使わなくなって、普通に接してきた。それだけ身近に感じてくれている証拠だと思った。自慢じゃないけど、勉強はそこそこ出来る方だったから、よくわからない問題を教えてあげたりした。
 そして今日も、三学期の学年末試験が近いって事で、真剣にやばい亮介が助けを求めたこともあって、勉強会を開いてやることになった。

「…で、ここの答えが3になる…亮介、わかったか?」
「…ああ、何となく。」

誰も居ない教室、しかめっ面でノートを見ている亮介を横目に、おれは他の二人を見やった。

「悪いね、付き合わせて。」

おれが言うと、おれの向かいに坐る由利子さんは、

「ううん、私だってお願いしたかったくらいだから。」

と言ってくれた。助かるよなあ、そう言う風に言われると。 亮介の向かい、つまりおれの右前には美月さんがいた。彼女は勉強は安心なのに、どうしても亮介が心配らしく、この会に参加していた。心配してくれるだけ、有り難いと思えよ、亮介。
 する事もなく、何となく暇にしていたおれを見て、由利子さんが突然軽く笑ったと思ったら、

「…なんだか、こうして四人で勉強しているのって、不思議だね。」

なんて言ってきた。

「そう言われると、一歩間違えば他人だったんだから、全く運命の取り合わせなのかも知れないね。」

亮介を教えていた美月さんもそんなことを言った。

「私なんて、優君とはクラスが同じでも、話もできなかったのかも知れない。」
「どうして?」

そうおれが訪ねると、由利子さんは少し恥ずかしそうに答えてくれた。

「…だって、失礼かも知れないけど、優君って最初何となく近づき難いって言うか、ものすごい人見知りする人かと思ったから…」
「優、やっぱりそういうように見られるみたいだな。おれもそうだったよ、一回話をするまではどうも近づけなかった。で、話してみるとそんな事なかったって感じだからな。」

亮介もそんな事を言った。さらに、

「なあ優、何かお前他人を避けてる感じがするんだよな、何かあったのか?」
と言った。
「まあ…ちょっとね。」

 亮介はそんなつもりじゃなかったと思うが、おれの心には結構きいた一言だった。…もう昔の話だし、これだけ仲いい三人だったら、話してもいいかなって思うようになっていたことがあった。聞かれたことだし、恥ずかしいながらも、俺は思いきってそのことを告白した。

「実はさ…、おれ昔イジメを受けてたんだ。」

途端に、三人の顔が真剣なものになった。おれは続けた。

「今思うとそうかも知れない…、他人からすればそんなにひどいものじゃないかも知れない。けど、おれにはそう感じたんだ。」

 本当は言うのも苦い思い出なのに、三人の前では何故かそのことが何でも言えていた。仲間外れにされていた事、殴られたり、蹴られたりした事、仲が良かった友達まで離れていった事…。

「…もう誰も信じられなくなった。一人で悩んで、死んでし まおうかとも思った。でも出来なかった。自分が臆病なだ けだったのかも知れない…」

三人の顔も見ないで、俺は話した。あれから、人とは距離を置くようになった事、そして、少しずつ心を開いていった事…。

「結局、中学になって、首謀者と別の学校になって、それも 終わった…。離れてた友達も謝ってくれたし、今思うとそ いつの、ただ単におれに対するひがみだったのかも知れな いとまで思うようになったし、もうだいぶ忘れてきた。み んなと接するようになって、少しづつ和らいできたよ。  ちょっと、感謝しないとな…」

 最後の方は、少し恥ずかしくなってしまい、照れくさくなって、三人の反応を見ようと顔を上げた時だった。
 由利子さんが涙を流していた。思ってもいなかったから、おれは慌ててしまった。

「ご、ごめん!そんなつもりじゃなかったのに…。」

どう言っていいか解らず、言葉が続かなかったおれを見て、由利子さんは涙を拭うと、優しく笑って、

「いいの、気にしないで。さっ、続き始めようよ。」

と言ってくれた。本当に助かる一言だった。みんなも納得してくれたみたいだし、続きに取りかかった…。

 その日の帰り。
 亮介と美月さんは二人で先に帰っていった。教室には、おれと、由利子さんが残って、帰り支度をしていた。
 何となく話をしなかった。と言うより、出来なかった。さっきあんな事があって、なんて言ったらいいか解らなかった。でも、このままじゃ良くないと思ったし、せめてもう一度謝った方がいいと思ったから、おれは勇気を出して口を開いた。

「あのさ…由利子さん、さっきは本当にごめんね。」

突然話し掛けられて、由利子さんは少し驚いたようだったけど、すぐに笑って答えてくれた。

「ううん、謝る事なんて無いよ。泣いちゃった私の方が悪い くらいだよ。…でもね、嬉しかった。」
「どうして?」
「話してくれた事。なんだか、優君に近づけたような気がす る…。」

そういって彼女に見つめられて、おれはちょっと恥ずかしくなって、気が動転していたのかも知れなかった。

「そっ、それじゃあさ、おれも由利子さんのこと知りたいな、 教えて欲しいな…イヤかな?」
言うだけ言ってしまって、どうしようかと思ってたら、
「ううん、そんな事ないよ。私、優君にだったら何でも話せ る。だって…」
「えっ?」
「…」

うつむいてしまい、後の言葉は彼女は答えてくれなかった。
その代わり、

「じゃあ、一緒に帰ろう。実は私の家って優君の帰り道と同 じ道にあるんだよ。」

と言ってきた。

「そうだね…じゃ、帰ろうか。」

おれも賛成した。そういえば初めて一緒に帰るんだと思った。
 その帰り道、おれ達はお互いのことを聞き、話した。家族の事から部活の事、趣味の事、今興味がある事、将来の夢の事まで、本当にたくさんの話をした。おれは包み隠さず、何でも本当のことを話した。彼女も多分そうだったのだろう、言葉に迷いがなかった。
 いつもと同じ帰り道、しかし、彼女がいるだけで少し違った感じがしたのは、気のせいなんかじゃなかった。
 彼女の家に向かう分かれ道の前で、二人でいつまでも話していた。そのうち、夕日も沈みかけるような時間になった。彼女はそれに気付くと、少し口惜しそうに

「いっぱい話しちゃったね。私、もう隠し事なんて無いくら いだよ。」
「ホント、おれもそうだよ。…何かいろんな事教えてもらっ ちゃった。友達って言うか、もう二人は運命共同体…なん ちゃってね。」

軽い冗談のつもりだったのに、彼女は一瞬固まり、そして顔を真っ赤にさせたかと思ったら、

「そ、そうかもね…。あ…、私そろそろ行かなくちゃ…じゃ あね、また明日。」
そう言って彼女は走って行ってしまった。おれはちょっと驚いたけど、
「じゃあ、明日ね。」

と答えたら、彼女は振り向いて、手を振ってくれた。
 彼女の姿が無くなって、おれは歩き出した。今まで一緒だったから、一人が妙に寂しかった。
 その時には気付いていたのかも知れなかった。あえて気付いていない振りをしているだけだったのかも知れなかった。でも、おれの中で、何かが確実に芽生えようとしていた。