七月七日の星
出会いは、ごく自然に起こった。
少し暗い思いで、おれ、鷲尾優は黒板を見ていた。
この日は二学期になって二日目、恒例とでも言うべきか…席替えをしていた。どの時代でも席替えってのはやり方は一緒で、くじ引きで決めている。高校一年にもなってくじ引きか…と思っても、他に思いつくやり方もないから仕方ないかとあきらめ、おれは自分の引いたくじと黒板をもう一度見直した。
黒板にはまるで碁盤の目の様に、整然とした枠組みが書かれていて、その一つ一つに番号が書いてあった。だけど問題はそこだった。
そんなことを考えていたら、
「おい優、お前いくつ?」
と後ろから男の声で呼びかけられた。
「ああ、亮介か…それなんだよ。」
おれは体を後ろに向けながら答えた。
「はあ?」
頭に?を浮かべている男…白鳥亮介…こいつの名前だ。この学校に入って仲良くなった一人だ。何故かおれとは気が合って、気兼ねなく話が出来るヤツ…、親友ってところかな。明るくて積極的、おまけに顔は良い、と非の打ち所がないように見えるが、実は勉強が苦手で、実際苦労してるようだ。…まあそれは別として、おれは亮介の疑問に答えてやることにした。
「つまり、こういうこと。」
と、おれは手に持っていた紙切れを渡した。
「十番…で、これが?」
亮介は、さらに訳の分からないという顔をした。
「その番号が、どの席に書いてあると思う?」
おれの言葉に、亮介は改めて黒板を見て、そして理解したみたいだった。おれの肩に手を置き、
「…同情するよ。」
「…だろ。」
おれはため息までついてしまった。…そう、その席というのが、教卓の一番前だったのだ。常に緊張してしまい、どうも苦手なのに、それに当たるなんて、ついてない…。
ガックリしていると、横からやりとりを聴いていた、亮介の席の隣に坐る女の子が話に参加してきた。
「へえ、鷲尾君、一番前なんだ。でもいいじゃない、鷲尾君 真面目だから、勉強しやすい環境じゃないの?亮介が後ろ にいるよりは。」
「そんな…ひどいじゃないか美月。」
と、言われて苦笑いする亮介を見て笑ってる彼女は、林美月。元気って言葉がよく似合う女の子だ。いるだけで場の雰囲気を変えてくれる…そんな感じのとにかく明るい子だ。
「本当じゃないの、亮介が勉強できないの。」
「うっ…」
何も言い返せない亮介を見て、ついおかしくなって、
「くくっ…」
と笑っちゃったから、
「何だよ優、おれがいじめられて楽しいのかよ?」
亮介が悲しい顔で聞いてきた。
「イヤ…お前ら、本当に仲がいいなって思ってさ。」
そんな事を言ったら、
「…」
二人とも顔を赤くして黙ってしまった。…実はこの二人、幼なじみの上に、つきあっているって言うんだからうらやましい。マンガみたいな関係だなって思ったけど、かなりうまくやっているみたいだ。亮介も嬉しそうだし、美月さんに至っては、日頃は元気満点って感じなのに、亮介の前だと急にしおらしくなっちゃうんだから驚きだ。見事にほほえましいカップルをしちゃってるから、見てるこっちも楽しくなれる…そんな二人だ。
「ところで、亮介達の席は?」
真っ赤な二人を見てたらこっちまで恥ずかしくなっちゃいそうだったので、話を変えたつもりだったが、二人とも余計赤くなってしまった。不思議に思ってたら、
「…実は、また美月と隣同士なんだ。」
と亮介が何とか答えてくれた。美月さんなんか、もう下まで向いちゃってた。…それにしても凄い運だな二人とも、これも「愛」の成せるナントカってやつなのかな?
「そうか…っておっと、机動かさないと。」
ちょっとこれ以上はここにいられないと思って、おれは机を動かし始めた。ガタガタと動かしている間も、二人はまだ赤くなったままだった。おれは二人に軽く挨拶してから、目的の場所に向かった。
はあ…と一息ついてから席に坐って、ふと右を見たら、既に隣には人が坐っていた。
…物静かな感じの女の子、そんな感じかな?そう思った。
おれはあまり人とコミュニケーションをとるのが得意でないから、話をする人が限られている。もちろんこの娘も、そう言えばいたかな…ってくらいで、話もしたことがなかった。だからもちろん、名前を口に出して言うほど覚えていなかった。そんな事を考えて、何となく横を見ていたら、その娘と目が合ってしまった。
「あっ…。」
おれは言葉が出なかった。悪い癖なんだよな、これ。知らない人が相手だと、どうしてもうまく言葉が思い浮かばないって言うか…人見知りなんだろうな。とにかく、おれがどうしようかって思っていたら、
「…よろしくね。」
向こうから声をかけてくれた。
「…よ、よろしく。えーっと…名前…」
ぎこちない返事の後、今更名前聞くのも恥ずかしくって困っていたら、彼女が、
「…知ってるよ、鷲尾優君だよね…」
って言ってきた。
「うん…そうだけど、君の名前…。」
最後の方は口ごもる様に言ってしまったけど、彼女は意味が解ったらしく、少し笑いながら答えてくれた。
「私、琴野由利子です。」
そうだ、思い出した。琴野由利子さん、そんな名前だ。
「…じゃあ、由利子さん、よろしく。」
改めて、そんなことを言ってしまったけど、内心とても恥ずかしかった。忘れるなんて失礼だと思ったからだ。
それからしばらくは、別にただ普通に時間が流れていった。そんなある日、ふとおれは気付いたことがあった。
あれから、隣同士になったため必然的に少しずつ話をするようになったけど、由利子さんって、おれに話し掛ける時、「鷲尾君、ここの所を教えて欲しいんですけど…」
とか、 「鷲尾君、すみませんが消しゴム貸してくれませんか…」 って、妙にかしこまった言い方、つまりは敬語を使っていた。表情も何となく硬かった。はじめのうちは気に留めなかったけど、何回かそう言う風に言われると、やっぱり気になってしまった。
やっぱそうなのかなあ。亮介にも、「つい気を使って話しかけちゃう」って言われた事があったけど、そんなにおれって話し掛けにくい感じがするのかな?友達なんだし、もっと気軽に話して欲しいと思ってしまった。
そんなこと考えてた今日の二時限目の休み時間も、由利子さんは
「すみません、鷲尾君、教科書を忘れてしまったので、見せて下さい。」
って言ってきた。考えてる最中にそんなことを言われたので、思い切って彼女に言ってみた。
「ねえ由利子さん、おれに向かって敬語なんて使うのやめようよ、せっかく友達なんだしさ。」
彼女は、突然こんな事を言われてちょっと驚いてた様だったけど、少し経ってから嬉しそうに微笑んで、
「うんっ。」
って言ってくれた。おれはその時、日頃表情が少ない彼女が曇りのないきれいな笑顔を見せてくれたので、不覚にもドキッとしてしまった。こんな笑顔も見せてくれるんだ…おれは恥ずかしくなって横を向きながら、
「…それと、呼び方も鷲尾君って言うより、優って呼んでく れた方が親近感が湧くって言うか…その…慣れてるから… そうしてくれると有り難いな…って思ったりして…」
自分でもわかるくらいドキドキしながら、語尾はいつも以上に小さくなって言ったら、彼女は口の中で小さく何度か「優君…優君…」と繰り返してから、さらに微笑んで、
「うんっ。わかった、優君。」
って言ってくれた。少し恥ずかしかったけど、とても嬉しかった。由利子さんと、少しだが間が縮まったような気がした。
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