「……」
 それから一時間後。
 俺は自分の部屋で無言のまま、行き場のない焦りと緊張にじっとすることも出来ず、布団の上で忙しなく考えを巡らせていた。
 遠坂に指図されたままに風呂に入ると、まるで取り憑かれたように全身を洗い、生まれてこの方これほどまでに身体を綺麗にしたことはないと思う程、僅かな汚れも無くしていた。
 そして強烈なまでの使命感から開放され、部屋に戻り布団を敷いてそこへ座ったが……今度はこれから行われる事で頭が一杯になってしまっていた。
 セイバーと、セイバーと……それ以上は例え考えるだけでも出来ない……既にそれだというのに、俺の股間は正直にも痛い程に大きくなっている。
 胡座のままどうすることも出来ず、ただ意味もなく身体を揺らして意識をどこか別の所へやろうとしたのだが、そんなことは到底無理で。
 ――ああ、どうしてこんな事になっちまったんだ! くそっ、遠坂の奴……
 自分の不甲斐なさが原因であると分かっていながらそれを認めようとはせず、ただ遠坂を非難するばかり。
 そんな自分に半分辟易しながらも、想像してしまうのはやっぱり、真白く美しいセイバーの……
「ああー! ダメだダメだダメだっ!」
 必死で頭に浮かんだ妄想を振り払おうとするも、いくらそうやったって離れてくれなかった。
 頭の中では分かっていた。
 僅かではあるが、こうなりたいと考えていたことを。
 しかしそれは無責任な欲望であり、セイバーへの、そして遠坂への裏切りだと分かっていたから今までずっと押し殺せてきたというのに。
 どうして遠坂が、その欲望に手を貸してしまったのか。
 罪悪感と期待とがぐちゃぐちゃに入り交じって混乱を極める中、俺はどうすることも出来ずずっとこうしていた。
 ――ああ、助けてくれ。
 誰とでもない、この状況を何とかしてくれる神の存在を仰ぎながら、俺が天井を仰いだ瞬間、
「――失礼します」
「!」
 微かな音を立てて部屋の襖が開くと、そこに一人の少女が現れた。
 俺は一瞬硬直するも、動揺しないように必死に自分を戒めて、これからのことをじっくり話し合おうと思っていた。セイバーも説明すれば、きっとこんな愚かしい行為をやめてくれるに違いない……のに、
「! な、な、な……!?」
 目にしたセイバーの姿はあまりにも想像とはかけ離れていて、俺はそんな考えも吹き飛ぶ程に叫んでしまっていた。
「どうしました、シロウ?」
 セイバーはきょとんと俺を見つめるが、その格好――バスタオル一枚を巻いただけの格好に、まるで疑問を抱いていないようだった。
「セイバー、何でそんな格好……?」
 なるべくそちらを見ないように……しかしどうしても意識はそっちへ持って行かれながら俺は尋ねるも、
「はい、わたしも身を清めてきましたし、普段から眠る時には着衣はしていませんから」
「え……?」
 セイバーは割とあっさり事実だけを述べてくれたのだが……後半の部分が特にいけなかった。
 ということは、今まで俺は裸で寝てるセイバーと、襖一枚隔てた向こうで一緒にいたって言うのか!? そう考えただけで、更に俺の頭は混乱と妄想を極めてしまう。
「シロウ……」
「わ、わっ!」
 と、いつの間にか俺の前まで来ていたセイバーが不安そうに俺を見下ろしていたから、思わず後ずさり、意味もなく布団の上に正座してしまう格好となっていた。
 なんというかその……あまりにもそのセイバーの風呂上がりの姿が刺激的すぎて、正直股間がどうしようもなくなっていたから、下手な格好をしているとそれが見破られると感じての反射的な行動だ。
「? では、わたしも失礼します」
 と、それが俺が席を空けたのと、何かしらの儀式めいたものを感じたのか、セイバーはゆっくりと膝を揃えて曲げると、俺に対面するようにして同じく正座する。
 何故か布団の上で二人向かい合って、その上女性の方はほぼ裸に近い格好――いくらこんな俺でも、それが何を意味しているかと言えば、それはひとつしか思い浮かばない――これじゃ、新婚初夜に初めての契りを交わす夫婦みたいじゃないか!
 そう思いながらも、なんとか頭をブンブンと振る。
「?」
 セイバーの不思議そうな顔など無視する。というか見られない。だって目の前には、あまりにも誘惑的な姿が――微かに火照りを残して上気した肌は仄かなピンク色で、大事な部分はきっちり隠しているとはいえ、普段決して見る事のない鎖骨や太腿がはっきりと晒されたその状況は、男なら我慢できるわけがない、素直にそう断言できてしまうからだ。
「あ、あの、な……セイバー……」
 だから、俺はそっぽを向くような状態で、これは何かの間違いだと考えを正そうと話を切りだした。これから交渉に挑むのだ。まるでネゴシエイターになった気分で、俺は何とかして軌道修正を測りたいと思うのだった。
 しかし、
「はい。準備は出来ています」
「そ、そうじゃないっ!」
 セイバーはすっかり意味をはき違えてそう答えるから、思わず俺は否定しながらセイバーの方を見てしまう。
「――あ」
 途端、俺とセイバーは目が合ってしまい、お互いをじっと見つめてしまって――やがて、俺の頬に思い切り熱が灯り、なんて生易しい表現ではなく、それこそ爆発するような衝撃が走っていた。
「わ、わわ、ごめんっ!」
「? ……は、はい」
 俺は慌てて目を逸らすも、目の前で次第に頬を紅潮させていくセイバーの姿は頭から離れなかった。
 普段綺麗に結わえている髪は今はすっかり下ろされ、あまりにも違う印象を俺に与えている。それがまた新鮮で衝撃的で、秘密を知ってしまったような喜びと共に俺をどうしようもなくさせているなんて――『髪型ひとつで女は変わる』とは言うけど、こんなにとは正直思いもしなかった。
「そうじゃないんだよ……」
 半ばひとりごちるようにそう言うと、俺はなんて説明したらいいのか頭を悩ませた。いきなり出鼻をくじかれて、最早戦前の予定などあったものじゃない。
「あれは……そう、遠坂の暴走だ。セイバーも分かるだろ? 遠坂はキレたらああやって突っ走るって。そうなんだよ、あいつはただこうがーっと前が見えなくなってただけで……」
 しどろもどろになりながらも身振り手振りを加えて必死に言い訳をしている。これじゃまるで浮気を見つかった間男みたいな気分だ。
「だからコレは何かの間違いなわけで、別にセイバーが気にするようなことは……」
「いえ」
「え?」
 と、そこまでじっと聞いてたセイバーがふと口を挟んだ。思わず俺は説得を止め、その方を見てしまう。
「わたしは本気です」
 セイバーは笑顔を見せながら、そんなことをサラリと言ってのけてくれた。
「ちょ、な……」
「だからこうして来たというのに、シロウは勢いが足りませんね?」
 踏ん切りの付かない俺をくすっと笑い楽しそうに見つめる姿は、とてもこれから神妙な会話をする姿ではなかった。
「シロウがわたしに直接魔力を下さるなんて、これほど嬉しいことなど他にありません。わたしたちはもうマスターとサーヴァントという間柄ではないのに……出会った時には、想像も出来ませんでした」
「……」
 本当に正直な気持ちにセイバーが話しているのが分かった。だからこそ、その言葉と現実のギャップに戸惑いを隠せない。
「今朝の目覚めは、とても心地よいものでした。シロウ、どうしてか分かりますか?」
「?」
 と、セイバーは突然不思議な質問を俺にしてきた。
 目覚めはともかく、あの朝の出来事は互いにとって最悪だったはずなのに、何故そんなことを言ってきたのか。
 と、
「目を覚ました時……身体の中に、凛とは違う力を感じたのです。わたしはそれを感じた時、すぐに誰の力か分かりました。――ああ、これはシロウの魔力なんだって――」
「――」
 瞳を閉じ、その心地よさを思い出すように胸に手を当てているセイバー。その姿は穏やかでとても嬉しそうだった。
 ――そうか、俺はセイバーと契約していた時、魔力を提供出来なかったんだよな……それを思い出すと、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「シロウの魔力は、とても優しい力なんですね。全身を穏やかに包んで、そして力をみなぎらせてくれます。今まで身体を巡る魔力について感じたことは何もなかったのに、こんなに安心出来て、わたしを支えてくれて――」
 そこでセイバーは目を開けると、俺のことをまっすぐに見つめ、
「もし、初めて出会った時にシロウと完全な契約を結べていたのなら……もっと素直になれていたかも知れません」
 少し顔を赤らめ、にっこりと笑った。
「――!」
 その表情に不意を付かれた。
「でも、結果的にこうなったのですから、運命のイタズラに逆に感謝しなければなりませんね」
 そのイタズラを信じるような発言も相まって、改めてセイバーが女の子であるということを意識しない訳にはいかない。
「ですが」
 と、そこでセイバーは少し残念そうな顔をした。
「その魔力も、殆ど使いきってしまったような気がします」
 言いながら、今度ははにかんだ表情で俺をじっと見つめ、
「だからシロウ、わたしにもっと――あなたを感じさせてください」
 ……告白とも言えるようなその言葉が、俺を貫いていた。
 反則だ。
 こんな事をこんなに魅力的なセイバーに言われて、心が揺れない訳がない!
 さっきまであれだけ必死になっていた自分がまるっきしバカに思えてくる程、目の前の少女に惹かれていた。
 魔力とかそう言うのを抜きにして、俺がもしセイバーに言われたなら――遠坂がいなければ多分……いや、間違いなく惚れていた。
 そうでなくても、俺はセイバーに初めて会った時から、この少女に心奪われていたというのに――!
 そんな考えが頭を駆け巡ると、俺はどんな顔をしたらいいのか分からなくなっていた。
 こんなこと――それこそ徹頭徹尾、今までの全てが運命のイタズラだ。セイバーと出会って惹かれて、だけどそれ以上に俺の中で遠坂が大きくなって……そしてまた、こうやってセイバーの魅力に引き戻されつつある。
 そんな自分は一般で言えば薄情で女たらしで――俺の信念で言ってみれば『裏切り』の行為だ。それは遠坂への裏切りでもあるし、今の状況を利用してるんじゃないかっていう、セイバーの信頼への裏切りでもある……特に遠坂への裏切りは、死を意味するから絶対に出来ないし、そうじゃなくてもこの先どうなるか分からないからって、うわあああ……
 そんな風に苦境に悩む俺は、きっとセイバーから見れば、不格好に顔を歪めてぐちゃぐちゃな表情だっただろう。
 その時、セイバーは俺の想いをそこに見たかの如く、
「凛の事が心配ですか? 大丈夫です。ちゃんと言質は取ってあるので、このことでシロウが恨まれるようなことはありませんから」
 半分は正解の、半分は間違いの指摘をしてくれていた。
「いや、そんな事は……」
 大いにある。というか、この場合どっちに転んでも俺にはキツイ状況だ……前に進むも地獄、進まないも地獄、後退するのも言うまでもなく地獄。
 もちろんその地獄に待ち受けているのは、赤いあくまこと遠坂凛だ。
 どうしようもない俺に、セイバーは改めて告げてくる。
「ですから、シロウは好きなようにわたしを抱いてくれればいいのです」
「ま、待て待て待て!」
 俺は苦悩しつつも、流石にそれだけは違うとセイバーの言葉を慌てて遮る。
 ……なんというか、あまりにあっさりと言ってくれるのがいけない。
「うー、ああ……」
「?」
 しかもセイバーの不思議そうな顔にある通り、どちらかと言えば俺の方がよく分かってない悪者のようで、一体どうしたらいいかと頭を抱えてしまう。
「セイバー……本気で言ってるのか?」
「はい、大丈夫です。わたしは経験こそありませんが、知識はしっかりありますので、シロウがやりたいようにしてくれれば問題はないかと」
「……」
 改めて確かめてみても、あっさりとそう返されてしまうと言葉がない。
 臆すことなく状況を全て受け入れようとしているセイバーの肝のすわり方は、舌を巻く程に思う。
 俺も――ちょっと違うが、そうやって情に流されたらどんなに楽かと思うのに。でも、少しずつ心が揺れ動いていることは確かだった。
 だから。
 だからこそ、そのセイバーの言葉が酷く義務的に聞こえてしまったので、
「なあ……セイバー……」
 少しだけ自分を騙しながら、そう尋ねていた。
「?」
「セイバーはそれでいいのか? セイバー自身の気持ちと言うのが、その……」
 汲まれていないんじゃないか、そう思う。
 折角。どうせ。計算。
 そんなのじゃなくて、もっと抱き合うならこう何かがあるんじゃないかって……悲しく思った。
 しかし、セイバーはそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、はあと溜息をひとつつくと、
「……本当に仕方ないですね、シロウは」
 そんな風に笑っていた。
「え、あ……?」
「凛の言うとおりですね。ここまで言わなければ分かって貰えないんですから」
 と、突然居住まいを正したセイバーはゆっくりと俺を見つめると、
「わたしは、シロウが好きです」
 ……はっきりと言われた。
「――」
 瞬間、言葉を失っていた。
「シロウの事は大好きです。本当は誰よりも――と言いたいところですが、凛にちょっと敵わないのが残念ですね」
 恋に負けた悔しさと言うより、あっさりと負けを認める清々しさまで漂うセイバーの姿。
 そんなセイバーを、俺は抱きしめたかった。
「シロウ……?」
 ――くそう、なんて言うか完全に俺の負けだ。
 俺のことを好きだなんて言ってくれる娘がいて、はいそうですかって突っぱねることなんか出来ない。それが更に自分も好きな娘ならば尚更だ。
「セイバー……俺も」
 心がちょっとだけ苦しくなるけど、それは素直な発言な訳で。
「はい……ずっとわかっていました」
 そうやって受け入れられると、何だか凄く申し訳なかった。
 もう流れは明らかにそっちに傾いている。
「……いいのか?」
 ならば、ここで開き直らなきゃダメだと思い、俺はかなりの決心を漏って尋ねた。
「はい」
 そんな、セイバーの当然な答え。結果なんか最初から見えてたけど、誠実な一言は揺るがなかった。
 ――まいった。
 改めて、本当に心臓がドギマギしてしまっていた。
「許せ遠坂……いや、お前が悪いんだから、これは自業自得だ」
「?」
 ちょっとだけ思うも、やっぱりこれは遠坂の仕向けた事なんだからと、ちょっとだけ責任転嫁なんかしてみて。
「とにかく――これはあくまで儀式だ。うん、そう言うことにしよう」
 自分に言い聞かせるようにひとりごちた俺の言葉に、セイバーはくすっと笑う。
「そうですね。それならシロウも心おきなく出来ますね」
「あー、あー……ははは……」
 結局は何だかよく分からないまま、交渉はあっさりと俺の負けで終わっていた。








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