2.代替案

 

 

 

 

 


「……」
「……」
「……」

 あー……
 あまりにも気まずい雰囲気が、衛宮家の食卓を包んでいる。
 無言で全員が食事をする場は、誰が見たって異様な雰囲気だと分かる……それが当事者である俺達なら尚更のことだ。
「……」 
 目の前の遠坂は、こちらに目を合わせようともせず黙って箸を進めていて、
「……」
 その隣にいるセイバーも、普段なら一口一口頷きながら食べているのに、今日だけはそんな反応も見せないでただ黙々と食事をしていた。
「……」
 必然、そんな中で俺が話すことなど何もない。いや、何かを口に出した瞬間、遠坂に睨まれるに違いない。場の雰囲気は、ある意味殺気と考えても間違いがないくらいに危ういのだ。

 

 

 それは今朝の出来事に遡る。
 遠坂の部屋で目を覚ました俺は、僅かな油断によって最大の過ちを犯していた。

「凛……あの、シロウを見ませんでしたか?」
 そんなセイバーの、あまりにもタイミングのよすぎた訪問。
「あ、あ、あ、あ……セ、セ、セ、セイバー……!?」
「ちょっと士郎……もう少し寝かせ……!?」
 俺と遠坂は、そんな言葉を発しながら完全に凍り付いてしまっていた。
 同じベッドで男女二人。
 着衣はなく、共に生まれたままの姿。
 更に部屋には微かな性の残り香。
 例えセイバーが色恋沙汰に鈍感だとしても、この状況を見れば一体何があったかなんて想像するのは容易い。
「え、っ……?」
 小さな疑問符の後、一瞬の沈黙。
 セイバーはこちらの顔を交互に見つめて、この突然目の前に提示された状況の意味を解そうと頭をフル回転させて……やがて、頬を真っ赤に染め上げた。
「あ……し、し、しし……」
 セイバーはなんとかこの場を取り繕うとするけど、追いはぎに遭遇したみたいに言葉が上手く出てきていない。
 そうしているうちに、たまたま俺と視線が合って、
「し……しつれいしましたっ!!」
 遂にどうしようもなくなったらしく、そう叫ぶと部屋を飛び出してしまった。
「……」
 残されたのは、相変わらず固まったままの二人。
 無言のままにお互いを見つめ合い、しばし呆然として……
「……あは、あははは……」
 と、しばらくして俺からようやく漏れた笑い声は、力無く乾いたものだった……

 

 

 ……とまあ、俺と遠坂はあれから全く無言で体裁を整え、無駄にとは思いつつも別々に部屋を後にしたのだが、何とも言えない雰囲気はどうしようもなかった。
 結局朝食は抜きだし、予定だった午前中の剣の鍛錬も中止。
 俺は自分の部屋で畳に寝転がってみたり、教科書を眺めてみたりしたのだが少しも落ち着ける訳がなく、普段より何倍も長い午前を過ごすハメとなった訳で。

 昼前、襖の奥からセイバーの視線を感じた。無言のオーラとなって『お腹が空いた』と訴えているそれに負け、俺は台所に向かったのだが……気がつけば食事は終わっていて、味も殆ど覚えていない有様だった。
 午後も全く変わらない拷問のような時間。
 いやそれよりも、考える余裕が生まれてきたばっかりに、じわじわと罪悪感やら後悔やら、それはもう何とも言えぬ考えが頭を巡って、正直何をしているよりも疲れ、結局夕食の時間になっていた。

「……」
 今思えば、台所で食事を作っている時間が一番気が楽だったような気がする。悲しきかな主夫の血は、居るべき所では妙に落ち着いたらしい。
 テレビもつけられてない、かちゃかちゃと箸だけが動く居間はやっぱり居心地が悪すぎる。
 今もこう、このブロッコリーの芥子和えの味が……口に入れ、そんな風に思った瞬間、
「シロウ」
「……は、はいっ!」
 突然、セイバーが俺の方を見た。
 俺は妙にかしこまって返事をしてしまい、『明らかに動揺してます』と言わんばかりだ。
 しかし、セイバーはそんな俺の様子に反応するでもなく、
「……少し、しょっぱいです」
「え?」
 今し方口にしていた味噌汁のお椀を見つめると、ただそれだけぽそっと呟いた。
「あ、ああ……ごめん」
 赤出汁で夕食の味に負けないように……と作ったのだが、僅かな加減を誤っていたらしい。その辺が敏感なセイバーには分かってしまったようだ。
 妙な生返事で誠意のない謝罪をしてしまった俺に、
「士郎」
「な、なんだ、遠坂……?」
 と、今度は正面にいた遠坂がちょっと睨んだ。
「……辛すぎ」
「あ……」
 と、遠坂はブロッコリーを摘んで指摘する。口に残っている味を思うと、確かに辛みが強くて、これじゃ芥子に漬けたブロッコリーみたいだ。
「……すまん」
 色んな感覚が鈍っていた……手を抜いた訳じゃないけど、やっぱり意識が炊事に集中してなくて、こんなところまでダメになってどうする。
「あの……さ……」
 どう謝ろうか。
 最早しどろもどろの政治家みたいな気分で口を開いた俺を、
「シロウ」
「士郎」
 今度は二人が同時に遮っていた。
「……おかわり」
 まったく同じ動作で、茶碗を俺に向けて差し出すセイバーと遠坂。
「は、はい……」
 俺はそれを受け取ると、舞台から逃げ出すように台所へと向かった……

 

「……」
 食後のお茶なのに、こう、ずずっといかにも美味しそうな音を立てて啜れない状況というのは、こんなにも神経を使うものとは知らなかった。
 いるだけで果てしなく精神を摩耗する。
 しかし、一人ここで自室に逃げ帰ってしまえば、それは何の解決にもならないただの敗北だ。
 だから俺は上手く二人を繋げて、なんとか今朝の出来事を自然に捉えて貰いたいと必死に考えて――すまない、遠坂、俺は何も思いつかなかった。

 だって、あの状況をどう説明すればいい?
 何があったかは一目瞭然で、それを無言の内に肯定してしまっている人間がここにいて、その上でどう……嘘を付けというのだ。
 多分何を言っても無駄だし、逆に何を言ってもセイバーはそれで納得したという『演技』をしてしまうだろう。
 だが、それではいけないのだ。
 俺達は信頼し合う仲間であり、そして共にこれからを過ごしていく家族なのだ。
 そこに僅かな軋轢を生じさせても、その場をやりすごせるのなら、それはそれでいいのかも知れない。
 けれど、僅かに入ったヒビというのは、次第に大きな亀裂となり、いつかは取り返しのつかない大きな傷口になってしまう。
 だから、その為に俺達は正直に話せばいい――それは分かっていた。
 しかし、こんな状況が全くの未経験である俺には、それが切り出せなかったのだ。
 やましいことはない。
 ないのだ。
 俺と遠坂は共にセイバーを魔力の補充という、俺達の出来る唯一であり、必要不可欠な手段で支えていかなければならないのだし。
 さらに――過程はどうであれ、恋人同士なのだし。
 俺達のような若いカップルが、愛を確かめ合うためにセックスをすることだって――あまりに都合のいいこととはいえ、分かって欲しかった。
 それがセイバーの為なら、尚更……
 だが、その意味が明らかに、セイバーへの押しつけを含んでいたから、自分が許せなかったのだ。
 誰も傷付けない最良の選択。
 それはこの場所に殆ど残されていない。
 だがそれでも、俺はその僅かな可能性にしがみつきたくて、結局誰かを傷付けようとしている。
 その矛盾が許せなく、なのにどうすることもできない。
 ああ、いっそのこと全てを詳細に告白してしまえばどんなに楽かと、己の染みついた生粋の性格を恨みたくもなった瞬間、
「……あー、もうだめだめだめだめ!
 その状況をはっきりと打破してくれたのは、やはり遠坂だった。
「士郎」
 遠坂はバンとテーブルに手をついて大きな音を出すと、俺の方を睨み付ける。
「な、何だよ……」
 俺は出来る限りの平静を装ってその言葉に反応するも、その実とてつもなく緊張していて、しかし安堵を覚えていた。
 ああ、こういう時は遠坂が一番頼れる存在だ――と胸をなで下ろし、半分期待の籠もったような瞳で遠坂を見つめ返す。
「り、凛……」
 セイバーは、遠坂が突然そんな行動に出たことに対する僅かな驚きと、そして俺と同じく、状況が変わろうとすることへの微かな期待を込めた瞳でその行方を見守っていた。
「はぁ……」
 それを痛い程感じているのだろう、遠坂ははぁと大きな溜息をつくと、
「士郎って本当にバカね」
「! バカとは何だよ、バカとは」
 諦めたように呆れ顔をするから、ついムキになってしまった。
「バカはバカよ。こういった場は、男の子の士郎がこう全てをひっくり返す覚悟で挑まなきゃいけないのに!」
 があーっと、遠坂は鬼の形相で立ち上がって俺を見下ろし、不甲斐なさをなじる。
「うっ……そ、それは……」
 確かに、遠坂の言っていることは正論であり、俺が言葉を返すことは出来ない。俺がもう少ししっかりしてれば、こういう事にはならなかっただろうし……しかし、何だってそれは少し言い過ぎだと思わないのか?
「とにかく、まともに契約も結べないで、だからこんな事になるのよ。こんなんじゃ、いつまで経ったってわたしもセイバーも楽にならないじゃない!」
「う……」
 すっかり縮み上がった俺にまくし立て、遠坂は手にした湯飲みを握りつぶしそうな勢いだ。
「セイバーもそうでしょ!?」
「え? あ、はい……」
「ほら、セイバーだって困ってるじゃない!」
 と、突然話を振られたセイバーは明らかにその剣幕に押されて返事をしただけにしか見えないのに、興奮しきっている遠坂はそんなのに構う訳もなく、半ば言いがかりにも近い格好で俺への責任を深めさせた。
「あ、あのな遠坂……」
 俺はそのあまりのエキサイトっぷりに、遠坂がうっかり事の次第を話してしまわないかビクビクしながら機嫌を取ろうとしたのだが、
「もうこうなったら最終手段よ。これだけはイヤだったけど……」
 ひとり合点した遠坂はそんな俺の考えを知るよしもなく、ひとり顔をしかめながらびしっと俺を指差した。
「士郎!」
「は、はいっ!」
「あなた、セイバーに直接魔力を提供しなさい!」
「は、はいっ!」
 その令呪にも勝る絶対命令権とばかりの命令に俺は勢いで答えてしまってから、とある事が気になっていた。
「……待て遠坂。っていうか、そんなこと可能なのか?」
 素朴な質問。
 俺は魔力提供の方法なんて、遠坂と契約する事くらいしか知らなかった訳で。
「……は?」
 だというのに、遠坂はこの素直な疑問に心底驚き呆れたような顔でぽかんとしていた。
「あ、あんた……」
 やっと俺の言った内容を理解したらしく、一瞬言葉を失った遠坂が何かを言おうとするも言葉が続かない。
「はぁ、どこまでも素人なのね……こんな士郎に期待したわたしがやっぱりバカだったわ……」
 そして、やっと口を開くと、頭を振りながら顔をしかめ、全身が脱力するかのような溜息をひとつついて座り込んでいた。
「な、何だよ……セイバーに提供するならば、マスターを介さなければならないんじゃないのか?」
「違うわよ……」
 俺は今までずっとそう思っていたことを告げると、遠坂は更に肩をガックリとさせながら説明してくれる。
「本当何にも知らないのね、士郎って。いい? サーヴァントが街の人々から魔力を奪っていたこと忘れたの?」
「あ……」
 遠坂に言われて、初めてそのことを思い出した。
 ――そうか、マスターからの供給じゃ足りない分を、補っていた奴がいたんだっけ……
 浅はかな、そして大いなる勘違いを指摘されて、俺は返す言葉もなくなってしまった。
「じゃ、つまり」
「そういう事よ――」
 何とか頭の中で整理して、つまり自分がどうにかすればいいと分かった俺が何かを言おうとした時、そこでやっと気を取り直した遠坂は改めて俺を睨むと、それよりも一歩先に、
「手っ取り早く、セイバーとエッチしちゃえばいいのよ!」
 ヤケもヤケ、もうそれこそとても正常では考えられないようなことを叫んでいだ。
「……ええええっ!?」
 ギリギリとした眼光の鋭さにたじろぎながらも、流石の俺でも遠坂がとんでもないことを言っているのだけは分かった。
「待て待て待て待てーーーーーっ!!」
 俺は頭の中に浮かび上がりかけたその状況を振り払うように叫ぶと、思い切り立ち上がっていた。
「と、遠坂! お前、何言ってるんだ!?」
「何って言葉通りよ! わたしと契約が結べないんなら、セイバーと士郎が魔力を受け渡せば問題ないじゃない!!」
 俺の叫びを半ばヤケにも似たそれで上書きながら、遠坂も立ち上がると俺と同じ高さで睨み付ける。
「だからって、その理論の跳躍は何だ!」
 俺は先程の言葉に、目の前の遠坂の事なんかちっとも目に入らない程に頭が沸騰していた。
 そんな、セイバーとエッチしろだなんて――!?
「跳躍なんかしてないわよ! 簡易魔術も成立出来ない士郎がセイバーに出来る事って言ったら、それしか無いじゃないの!」
「う……」
 ぐわんぐわん頭が混乱してる中、魔術師としての未熟さという痛いところを突かれたら、流石に俺も返す言葉がない。
 俺は魔術師として未熟。
 確かにそれはそうだけど……今、セイバーを現界させる為には、遠坂の魔力だけでは不安定で、出来れば何とかしてやりたいって思って――だからといって、その選択肢はありえない!
「待て、落ち着け遠坂。まずは状況を把握してだな――」
「うるさ〜い!!」
 なんとか目の前で異常な興奮を見せる遠坂をなだめようとした俺だったが、ダンッ! とテーブルに脚を乗っけた遠坂は、凄い形相でグッと俺の胸ぐらを掴んで引き寄せると、
「とにかく準備しなさい! そんな汚い身体じゃセイバーに失礼よ! 今すぐお風呂に入って身体の隅々まで洗って身を清めること、いいわね!?」
 そう言って俺を突き放した。
 ――さもなければ撃ち殺すわよ!?
「は、はいっ!」
 俺はその行動と言葉の裏に明らかな恐怖を感じて身を竦み上がらせると、脱兎の如く居間を後にして風呂場に駆け込んでいた。




(初読の方は後にお読みいただくと
より楽しめるかと思います)



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