「ふぅ……」 俺はシャワーの蛇口を絞り、髪の水滴を振り払う。 「ふ、ふふふ……」 思い出すにつれ、やはり口元が緩み出す。シャワーで流しても二人の肌の熱さはまだ俺の腕の打ちに残っている。 いけないいけない、一人で風呂場でにやけていると気味が悪いだけだ。 「さて、寝床をどこにするか……」 俺はそんなことを鼻歌混じりに呟きながら、ドアを開けてタオルを取ろうとすると―― 「はい、志貴さん」 手渡されたバスタオルを何気なく受け取り、顔を拭いたところで気が付いた。 「おっ、おうっ、おおお!」 俺はタオルをひっつかんで、そのままバシン!と風呂の扉を叩きつけた。 もしかすると琥珀さんは夜なべで仕事をしていて、風呂に入ろうとしていて偶然俺と居合わせたのかも。 「あ……ごめん、琥珀さん」 謝る俺の声は風呂場の中でエコーするが、扉の向こうの琥珀さんには聞こえているかどうか。とりあえず手早く髪と身体を拭って、タオルを腰に巻きながら俺はそーっと扉を開けて、脱衣所をのぞき見る。 「いえ、志貴さんは謝られることはございませんよー。はい、お着替えもこちらに」 琥珀さんが着替えを持ってくるその元は、俺の部屋しかない。 おれがバクンバクン鳴る動悸に苦しみながら琥珀さんの顔を窺う。 「ははぁ、志貴さん……アルクェイドさんはおろか翡翠ちゃんまであんな事やこんな事をしたことをもしかして……」 汗を流したはずなのに、風呂場で俺はだらだらとサウナのように汗を流し始めた。 それはまずかった。秋葉の激怒は俺の命のピンチを意味した。 な、なんとか琥珀さんにそんな真似をさせないようにしないと、俺は…… 「あ、あう……琥珀さん、そ、それだけはご内密に……」 ……琥珀さんに白紙委任状を差し出す。 ――多分。いや、わからない 「そうですね……」 琥珀さんは鼻をふんふんと歌わせて視線を彷徨わせて、何かを考えている。 「まぁ、私が秋葉さまにお話しすると翡翠ちゃんにも類が及びますから、今回だけは」 あはは、と屈託無く笑う琥珀さんに釣られて俺も笑うが、どうもピンチ脱出したばかりの安堵故の苦い笑いになってしまう。おれはそっと扉を開けると、湯気と共に脱衣所に入る。 寝間着。そうだ、俺の寝床。 「琥珀さん、ちょっといいかな」 琥珀さんは振り返ろうとしたが、着替え掛けている俺に気遣ったのか半身を逸らしただけだった。俺は大急ぎでパンツに足を突っ込み、ズボンを引き上げながら尋ねる。 「離れ、開いてるかな?」 そう、と俺は頷いた。あの離れはいつも空きっぱなしだったけども、もし行って戸締まりしてあったら間が抜けている。そうなるとまた寝床を考えなきゃ行けないし。 「はぁ……開いておりますが?」 そう言って頭を下げて、琥珀さんはしずしずと去っていった。 取りあえず、寝床は何とかなった。目覚ましも起こしてくれる翡翠も居ないけども、なんとか寝坊だけはしないようにしよう。俺は靴に足を滑り込ませると、明かりの落ちた廊下に歩み出す。 照明の落とされた廊下を歩いていると、迷宮に迷い込んでしまったかのような錯覚すら感じる。だがその道に迷わされることなく俺は階段までたどり着くと、コチコチという大時計の秒針だけが音を支配する、このホールの中を下る。 「ん?」 俺が中庭とテラスの辺りに差し掛かると、森の奥から足音がした――様な気がした。 月と星の弱い光だけで森を歩く俺は、心細くなっているのかもしれない。 「……なんか変だな。早く……寝よう」 俺はふぁぁ、と大きく欠伸をする。一眠りしたあとに風呂こそ浴びたけども、まだ身体は疲れていて休息を欲していた。ともすると根っこに蹴躓きそうになりながら、俺は離れに向かうと―― 「あれ?」 離れの玄関に、明かりが灯っている。 もしかすると、琥珀さんが気を遣って先にきて、寝床の支度をしてくれたのかも知れない。さっき風呂場で琥珀さんに離れで寝ることは告げていたから、気を回してくれて…… 「ふむ、そこまでしてくれなくてもいいのにねぇ」 口ではそう憎まれ口を叩いてみるものの、心の中ではほっとする。 そんなことを呟きながら三和土に上がった俺が見たものは―― 「へ?」 琥珀さんと同じ、小豆色の和服に蝦色の帯。それに白いエプロン。 「お帰りなさいませ、兄さん……」 俺は信じられないものを見せつけられている心地だった。 わからない。 「……どうして琥珀さんの服を着てるんだ?」 う、と俺は言葉に詰まる。なんでそれを――と呻くまでもなかった。アルクェイドはメイド服を着たままで屋敷に居て、俺は留め立てするどころかむしろそう言う恰好のアルクェイドの方が、侍女の恰好をするお姫様というなんというのか倒錯した喜びを感じていて…… まぁ、その、なんだ。アルクェイドは何着ても似合うし。 「なにをニヤニヤしてるんですか?兄さん」 秋葉は静かに立ち上がると、俺に手を差し伸べる。 「どうせなら矢絣袴で襷か、あるいは巫女服の方が……」 咄嗟に馬車道スタイルか巫女服の方がいいね!と失言し掛けた俺はかろうじて話題を逸らして、腕を組んで今の秋葉を評する言葉を探す。お嬢様の秋葉に使用人の恰好、というのは……高貴な身分の女性が貶められているという屈折した喜びを感じる、というよりもむしろ身分不相応な恰好という印象の方が強くて。 「……まぁ、こう言うのも時には新鮮で良いかも知れないけども、アルクェイドの真似はお前がしても……」 俺がぽんぽん、と秋葉の肩を叩いてそう言うと、秋葉は微かにはにかむ。 「奥に布団敷いてあるよね、じゃぁお先に……」 秋葉の横を通り過ぎて部屋に入ろうとした俺は、がっしりと腕を取られる。 秋葉は俺の袖を掴んでわななく。 「兄さん、それだけですか……私が琥珀の衣装を着ているのに、兄さんは?」 頬を掻きながら、俺はジト目で見上げる秋葉を困った顔で見返す。一体秋葉は何を言いたいのか……よくわからない。もしかしてこの恰好をしていることは、私を使用人だと思って荒々しく押し倒して下さいというサイン?馬鹿な、そんな都合の良い話が…… ……だけども、秋葉が俺の袖を掴んで奥歯を噛み締めて睨んでいるのは、あながち俺に誇大妄想でもないような気もする。でも、今の俺はむしろ秋葉の身体よりも柔らかい布団の方に魅惑を憶えかねない。 もっとも秋葉にそのことを言えば事態はどっちに転がり出すか俺も保証しかねる…… 「兄さん……兄さんは翡翠のメイド服は良くても、琥珀と私の和服エプロンは欲情しないんですね?」 |