まにあっくないと 阿羅本 景 この作品は「2つの花」の続きです。まずはそちらをお読みになり、本作品をお楽しみい
ただけたら幸いです。
「……ちょっとこれはひどいと思わなくて?琥珀」 秋葉の部屋の机の上に置かれた液晶テレビを目にして、秋葉は呟いた。手を組んで肘をマホガニーの天板の上に突いて、ゆがみを隠しきれない口元を被うようにして動く画面を眺めている。 「そうですねー、やっぱりひどいですかねー?秋葉さま」 琥珀は秋葉の横からティーカップを差し入れる。そんな琥珀も秋葉の後ろから、画面をしげしげと覗き込んでいた。一度その画像は彼女が見たことがあるにも関わらず、まるで初めて眺めるかのように目を丸くして、お盆で口元を隠してきゃー、とか小声ではしゃいでいる。 秋葉はキっと一瞥したが、ごく平静を保った素振りをしている。 「……?」 琥珀がひょい、と覗き込んで顔色を青ざめさせる。 「あっ、その、秋葉さま……」 だって、秋葉さまだって私だって、もう志貴さんのお手つきじゃないですか――という、嫉妬を鎮めるためにならない今更な言い訳は口にしたくても出来ない琥珀だった。口にするとそのまま憤激に狩られた秋葉の1リッター吸血コース送りに間違いがないのだから。 琥珀は液晶の画面に目を遣って、なんとか回答を探そうとする。 それも、この屋敷の使用人の制服である、小豆色のメイド服を着たまま。 「あっ、翡翠ちゃんったらあんなところまで……大胆ですねー」 秋葉は機嫌を損ねたようにむすっとしながらティーカップに口を着けるが、目だけはテレビから離れない。 アルクェイドと翡翠と志貴の破廉恥なベッドシーン。 悪趣味きわまりないが、カメラを仕掛けることと何かあったらそれを報告するように命じたのは秋葉であった。琥珀も断ろうか、あるいは欺瞞の策を講じようかと考えたこともあったが、大人しくその命令を実行したのであった。なぜなら――志貴の寵愛は主にアルクェイドと翡翠に寄せられていているこの状況にそこはかとない不満を憶えていたのだから。 もし志貴が琥珀を十分に夜中に可愛がっていれば、琥珀ははぐらかしたに違いない。 味見するだけ味見して、その後放置する――志貴の悪癖の招いた事態と言えなくもない。 ただ、それを見せられている二人も何とも言いようのないじりじりとした焦燥感に煽られるだけで、この情報が何かプラスの効果を発揮しているとも思えない今の状況ではあったが―― 「……どう致しましょう?秋葉さま?」 秋葉は咄嗟に思いついたことを琥珀に言うが、すぐに口元を曲げてむーと膨れ面をする。 キリ、と秋葉は歯ぎしりする。悪事の――同じ屋根の下で行われる兄の淫らな行動の現場を押さえたにも関わらず、それに対する策がまったく思いつかないのであった。今の自分は覗き見して淫らな喜びを憶える痴女にも等しく、それが兄を慕いそんな兄に抱かれる女性に嫉妬してのことだ、というのを自覚するのは誇り高い彼女には死にたくなるほどの情けなさであった。 ――一体なにを私は愚かな…… 肩越しに秋葉が振り返ると、琥珀も困ったような顔で自分を見つめ返しているだけ。 「……止めなさい、琥珀」 秋葉の苛立たしげな声に応じて、琥珀はハンディカムのスイッチを押す。 秋葉は手を握り合わせたまま、真っ暗なテレビの画面を凍り付いたように飽かず眺め続ける。 今この瞬間も淫らで破廉恥な交わりが行われているのであれば、乗り込んでいってこの心の中に溜まった鬱屈を洗いざらい吐き出してしまいたかった。だがこれは過去の記録であり、こぼしたミルクは皿には返らないようにもう手の出せない過去の世界の中に逃げ出して行ってしまっては、流石の秋葉も―― 「琥珀?今、兄さんはどうしてるの?」 なんで兄さんはアルクェイドや翡翠ばかりで、自分には情けを掛けてくれないのだろう? 考えが袋小路に落ち込んでいくのに気が付かず、秋葉は血走り掛けた瞳を黒い画面に注ぐ。 「秋葉さま……やはり、志貴さんが恋しいのですか?」 琥珀はさらりと聞いてみるが、それでも自分が虎の尾を踏んづけたような錯覚を禁じきれない。 「そう言う貴女は、妹の翡翠が兄さんに抱かれていて、自分が放っておかれていることに……」 すっと暗い色が琥珀の顔に一瞬走るが、すぐににこやかな琥珀の笑顔に戻る。 だが、琥珀の口が滑った。 「まぁ、私も時々翡翠ちゃんのフリをして……」 秋葉ががばりと音を立てて振り返り、イスを蹴って立ち上がる。 「翡翠ちゃんのフリをして志貴さんをからかっているだけですってばー、秋葉さまー」 嘘をついても墓穴を掘るだけだと悟る琥珀は嘘は口にしなかったが、かといって口にした事実は事態を好転化させる要因を何も含んでいない。秋葉は爛々と燃える、ケモノのような瞳を琥珀に向ける。 ――今なら秋葉さまに吸血された方がまだマシか、と埒もないことを考えてしまう琥珀。 「……分かったわ」 獲物を前に脚に力を撓める肉食動物の前にいるような心地の琥珀は、怖れながらも咄嗟に聞き返す。 「なぜ、アルクェイドや翡翠や貴女が兄さんに抱かれて、私が放って置かれるのか」 ――秋葉さま、とうとう御錯乱に? 翡翠の頭の中を過ぎった言葉はこれだった。秋葉が嫉妬のあまり錯乱して訳の分からないことを叫び始めた。これが一番この状況をすっきり説明できる、だがそれは状況が質の悪い方へと悪化していることに他ならない。 焦る琥珀を前にして、秋葉はバシ、と掌に拳を叩きつける。 「兄さんは私のセーラー服に欲情しないのに、使用人の制服フェチだなんて……なんてこと。それに気が付けば今頃私も兄さんに毎晩呼ばれてウハウハだったのに……」 断言する秋葉に、はぁ、という答えしかすでに返しようがない。 「こうなったら私も翡翠の制服を着て兄さんに迫れば……」 何を考えたのか、メイド服を着てこの屋敷の中で使用人のまねごとをするアルクェイド。 秋葉はにやりと口元に嗤いを浮かべる。 「琥珀。貴女……貴女も自分をのけ者にされてこういうモノを見せられて、内心不満に思っているはずよね?」 ――逆らえばどうなるか分かっているのでしょうね? そんな脅しを内に秘めた秋葉の言葉に、首を横に振れる筈が琥珀にはなかった―― |