Accipe quam primum: brevis est occasio lucri.
 出来る限り早く受け取れ。利益の機会は短い

 

 

 

 



「久しぶりね、こうやって話をするのって」

 とある喫茶店。
 朱鷺恵は目の前にいる女性にいつも通りの笑顔を向けていた。何となく暇潰しに繁華街に出てみたところ、同じく街中を暇そうに歩いているその人物を見つけ、半ば無理矢理引っ張ってこの店に連れ込み、注文を終えたところであった。
 が、話しかけられた方は浮かない顔で、注文したアイスコーヒーが届く間、火のついたマルボロライトをくゆらせていた。窓の外を眺めて気を向けないように努めたが、結局その笑顔に観念し、はぁと溜息をついた。

「……で、私に話って何だよ、朱鷺恵?」
「もう、一子ちゃんったらつれないんだから。積もった話はいっぱいあるんだから、それから話しましょう?」
「生憎、私はあんたみたいに暇じゃない。これでも社会人だ」

 一子はそう言ってタバコの火を消しながら、やってきたアイスコーヒーに目をやり、ガムシロップを垂らす。さぁっと溶けていく液体を確認すると、ストローでくるっとかき回し、口をつけた。
 うん、なかなかいい味じゃないか。

 そう思い、しかしこの目の前にいるのほほんとしたお嬢様をどう巻こうか思案を浮かべながら、次のタバコに手をやろうとソフトパックの箱に手をやったときだった。

「ふふふ……」
「?」

 突然、朱鷺恵が楽しそうに笑った。このお嬢様に笑われると自分が何か変なことをやらかしたのかと不安になってしまう。
 朱鷺恵は一子を値踏みするように覗くと、それから自分のロイヤルミルクティーにのんびりと口をつける。

「なんだよ、気持ち悪いな」

 改めてタバコを手に取ろうとする一子だったが、朱鷺恵は自分のカップを置くと、意味ありげな表情で一子を見つめた。

「話ってね……志貴君の事なんだ」
「!?」

 志貴、という言葉を聞いた瞬間、一子は掴んでいた箱を思いっきり握りつぶしていた。

「有間か!?」

 突然バッと身を乗り出して食いついてくる一子に、一瞬言葉の意味が分からない風の朱鷺恵であったが、一子が志貴のことをそう呼んでいたと思い出して、話に乗ってきた一子を面白がりながら話を続ける。

「あー……そう。一子ちゃんはそう呼んでたっけね。今は有間のお家じゃなくて遠野のお屋敷に住んでるけど、志貴君の事」
「それくらい知っている……で、有間がどうかしたのか?」

 珍しく冷静な一子が取り乱している。そんな姿を見てやっぱりと思いながらも、朱鷺恵はなかなか話を本題に向けなかった。

「そうね……一子ちゃん、最近志貴君の姿見てる?」

 敢えて遠回しにして、一子の様子を伺う。

「そういえば……ここ数ヶ月学校にもウチにも来てないって弟が言ってたな。私も生憎だが会ってない」

 タバコへ火をつけながら一子がぶっきらぼうに答える。冷静を装うべくタバコを吸っている一子だが、朱鷺恵からすれば明らかに動揺を隠せていないその行動がかえって滑稽に映った。

「ふーん。やっぱりね」
「やっぱり?」

 そんな一子の答えを見越していたかのような朱鷺恵の返事に、一子は片眉を上げながら反応した。

「そう。志貴君、最近なんだか変だと思わない? 殆ど公の場に姿を現さないし、ウチでさえも来ないのよ」

 一子はああ、こいつの家は医者だったなと思い出しながらも、黙って話の続きを待った。

「で、うちのお父さんが診察に行ったんだけど、お父さん、帰ってきたらずっとニヤニヤしていて、何も教えてくれないのよ」
「ふうん……」
「私が何を聞いても、『教えたら面白くないからのう』って言うばっかりなのよ」
「……教えたら面白くない?」

 朱鷺恵の父・宗玄の言葉に、やはり疑問符を浮かべる一子。それを一通り楽しんでから、朱鷺恵は本題を口にした。

「うん。だから……私たちで、志貴君を見に行かない?」
「な!?」

 その突然の提案に、テーブルをがたんっと揺らして立ち上がる一子だったが、すぐに周りの視線を感じて、少し恥ずかしそうに席に着いた。

「朱鷺恵、おまえ本気で言ってるのか!?」

 詰め寄るが如く朱鷺恵に向かって訪ねるが、当の本人はまったくこたえる様子もない。

「ええ、もちろん。気にならないの?」
「そりゃあ……」

 朱鷺恵の切り返しに、思わず口をつぐんだ一子。

「ふうん……気にならないんだったら私一人で行くわ。私だったら父さんの代わりと言えばちゃんとした名目があるけど、一子ちゃんはねー?」
「……」

 意味ありげな言葉で笑われ、一子に返す言葉はなかった。確かに朱鷺恵の言うとおりで、一子には遠野家の門をくぐる正当な理由がない。それこそ一人でのこのこと現れたら、違和感の固まりだ。志貴はともかく、他の住人にどんな目で見られるか分からない。それ以前に、そんなことは一子のプライドが許さないのであったが。

「ねーどうする? 一人で行っちゃおうかなー?」

 まったくこのお嬢様は……と思いながらも、一子は苦虫をかみつぶした表情で答えた。

「……分かった、一緒に行けばいいんだろ」
「そうこなくっちゃ」

 完全に朱鷺恵の罠にはめられて、うんざりといった一子だった。結局始めからそのつもりだったんだろうと分かりながらもそれに引きずり込まれてしまうところは、相変わらず朱鷺恵に敵わない一子であった。嬉しそうな朱鷺恵と対象に、未だに浮かばない顔つきでコーヒーを流し込む。

「あれ、嬉しくないの? 一子ちゃんったら昔っから志貴君のこと……」
「ぐっ! あー! 分かったからそれ以上は言うな!」

 朱鷺恵のからかいの言葉を、一子はむせかえりそうになりながらも大声で遮っていた。

「何よ、昔は嬉しそうに私に話してくれたんじゃない」
「あれは……若き日の過ちだ、いい加減忘れてくれ」

 これもまた珍しく顔を紅潮させて、一子は視線を逸らした。そうしてぐりぐりとタバコを灰皿に押しつけている姿を弟である有彦が見たら、間違いなく失神するような女性らしい反応である。

「過ちねえ……いい響きね。私も志貴君と過ちを……」
「……」

 と、冗談のつもりで朱鷺恵が発した言葉に、一子が突然真剣な目つきで朱鷺恵を睨んだ。流石の朱鷺恵も、その視線には少々驚いたようだった。

「……ごめん。でも、これはちゃんとした手順を踏んだ末だったんだからね」

 一子の真意を知っているだけに、少しやりすぎたと反省する朱鷺恵であったが、すぐにいつもの表情に戻った。

「そうと決まったら、日取りを決めましょう? 一子ちゃん、いつがいい?」

 小さなバッグの中からメモ帳を取りだし、朱鷺恵は嬉しそうに一子に尋ねていた。
 一子はええい、ままよと思いながら、この策に見事にはまっていく自分を笑い、そして心のどこかでは……期待していた。