La vie dans le grand chateau est ennuyeuse.
−たとえ箱庭でも、遊ぶにはちょうど良い広さだった−







 少女は、走っていた。
 まっすぐに続く屋敷への道を、ただひたすらに。
 片手には、封筒に入れられた手紙を携えて。

 ――是非、遊びに来てください

 それだけの物凄く素っ気ない文面だが、最後の一言に少女は心を奪われていた。

 ――遠野志貴より

 彼女にとって、その名前は物凄く懐かしくて。
 その響きが心地よくて。
 その存在が忘れられなくて。

 

 いなくなってしまって、少しずつ分かってきた事がある。
 自分があの人を、どう思っていたのか。
 半年の歳月は長いようで、実は物凄く短かった。
 8年も一緒にいた人への気持ちを、半年で整理がつくはずもない。
 その時に自分宛に送られてきたのが、この手紙だったのだ。

 

 どことなく近付きがたい雰囲気だったあの人が、今自分を呼んでいる。
 それだけで少女には十分な理由だった。
 もう一度あの人に会える。
 それだけで何故か心臓がドキドキとしてきて、気持ちが抑えられなくなりそうだった。
 だからこうしてすうと一呼吸してから、ゆっくりと玄関のドアを開けた。

「こんにちわ!」

 少女がくぐった扉の向こうでは、和服を着た女性が笑顔で出迎えてくれていた。

「ようこそいらっしゃいました、都古さん」

 

 

 

 そのロビーを見渡すと、少女……都古はため息を漏らした。

「すっごい……大きいですね……」

 そんな表情の都古に和服の少女はクスリと笑いかけると

「そうですか?広すぎるというのも困りものですよ」

 和服を着た少女……琥珀が都古のぽかんと口を開けた顔をまじまじと眺める。


 
 身長は自分よりも低く、やはりまだ幼さを残している。しかし凛とした表情は流石と思わせるところがあった。
 髪をお団子にしているのが、幼さを強める原因だと彼女は分かっているだろうか。更に中国の衣装をアレンジしたような服が、髪型同様元気さを際だたせているようで、なんだか凄くほほえましい。

「都古さん、立ち話もなんですから、まずはお荷物を。ご案内しますね」

 辺りを見回す都古に微笑んで、琥珀はすぐ隣にいた人物に呼びかけた。

「翡翠ちゃん、都古さんを案内してあげてね」
「分かりました」

 翡翠は答えると、すっと都古の肩にあったバッグを手に取った。

「都古さま、お部屋にご案内します」

 その言動に、都古は突然の事で驚いていた。

「あっ……はい」

 いくら遠野家の親戚といえど、このような扱いをされる事などは無かったらしく、その翡翠の完璧なまでの職務ぶりに、ただかしこまるだけだった。

「こちらです」

 翡翠は都古を連れ、客間へ案内した。

 

 

 

「……すごい」

 都古は部屋に入るなり、溜息を漏らした。
 見た事もないような広い部屋。
 ホテルのロイヤルスイートとはこんな感じなのだろうか。
 そう思ってしまうほど広く、調度品も整えられ、とても立派すぎて自分なんかが使わせて貰う部屋だとは信じられなかった。

「お荷物はこちらに……都古さま?」

 翡翠はテーブルに荷物を置いて振り返ると、部屋の入り口でぽかんと口を開けている都古に不思議そうな顔をした。

「……こんな部屋、使って良いんですか?」

 都古は恐る恐る、というように訪ねた。
 しかし翡翠は初めて優しく微笑むと

「ええ、都古さまのご自由にお使い下さい」

 そう告げる。

 翡翠は先程からの都古に、昔の自分を当てはめていた。
 あの頃はこのお屋敷が信じられなく広く思えて、よく志貴さま達と探検して回ったものだと懐かしんでしまう。
 それが今、彼女にも感じるのだろうと。
 自分が消し去った元気さ、はつらつさを彼女は失っていないと思うと、何だか嬉しく思えてしまっていた。

「はい……」

 それでも尚ぎくしゃくと部屋を見回し、ベッドのスプリングを押すようにして感心しきりの都古がほほえましい。

「おとぎの国みたい……」

 そう言うと矢張り興味深いのか、ぽんとベッドに乗った。
 その時、翡翠は都古の言葉を聞いて懐かしく思うところがあった。

「……?」

 都古は、ベッドの弾力をしばし楽しんだ後、翡翠を見る。
 すると、翡翠が自分に微笑みかけているのが分かった。

「……あ、ごめんなさい」

 都古はそこで初めて顔を赤くした。
 少しはしゃぎすぎたかな、都古は自分の幼心に僅かばかり反省するが、翡翠が笑ったのはそうではなかった。

「いえ、都古さまは矢張り似ていらっしゃいますね……」

 翡翠は、わざと遠回しに告げる。

「志貴さまも、初めてこのお屋敷に来た時に「おとぎの国みたいだ」とおっしゃっていました」

 志貴。

 その言葉を聞いて、都古がびくんと反応した。

「志貴……お兄ちゃんも?」

 翡翠が見たその瞳は、驚きに溢れていた。

「はい。8年もご一緒にいらっしゃったからでしょうか。志貴さまの本当の妹さまでいらっしゃるようで、私もつい嬉しくなってしまいて、申し訳ありませんでした」

 柔和な笑顔の翡翠は一礼すると、都古の手を取った。
 主人である志貴に限りなく近い都古は、自分にとっても愛すべき存在であった。

「行きましょう、都古さま」

 都古が立ち上がるのを見てから、翡翠は笑って部屋のドアを開けた。

「はい……」

 都古は、その美しい笑顔に目を奪われていた。
 同じ女性にもかかわらず、綺麗だと思ってしまう。何一つ乱さずに完璧にこなす翡翠が、完璧なお嬢様の様な気がしてしまい、とても自分の相手をしているのが信じられなかった。

 

 都古は促されるまま翡翠に続くと、ロビーに戻った。

「都古さん、お待ちしていました」

 そこでは、笑顔の琥珀が待っていた。先程の和服に割烹着を付け、白いエプロンがとても綺麗だった。

「さ、こちらです。皆さんがお待ちですよ」
「皆さま……?」

 都古はその言葉の意味が分からなかった。

「ええ。せっかくのお客様をお出迎えするために、応接室にお呼びしてあります」

 琥珀はそう言うと奥のドアを見、それから都古を見た。

「もちろん、志貴さまも……ね」

 ちょっとからかうように琥珀が言ったが、都古にはそれだけで効果覿面だった。

「お兄ちゃん……」

 その言葉を口にするだけで、胸がどきどきした。

 もうすぐ、お兄ちゃんに会える……
 私の、たった一人のお兄ちゃんに……
 ずっと想っていた、あの人に……

 そう思うと、都古は緊張してしまっていた。

「大丈夫ですよ、そんなにかしこまらないでくださいな」

 その雰囲気を感じ取ったか琥珀が優しく話しかけ、そしてゆっくりとドアに向かって歩きだした。

「はい……」

 都古もそれに続く。琥珀のとても楽しそうな笑顔を横目に見て、なんとか自分を落ち着けた。

「さて……」

 ドアの前に立つ。
 この奥に、お兄ちゃんが……
 そう思う都古の緊張はピークに達していた。

 琥珀はすぐにドアをノックしようとした。
 が、そんな都古を見て、くすくすと笑い出していた。

「……驚かれますよ」
「え……?」

 都古は、突然に告げられた琥珀の言葉の意味が分からなかった。
 が、それを理解しようとする前に琥珀はドアをノックしていた。

 コンコン

「皆さま〜、お客様をお連れしましたよ〜」

 そう言うと、琥珀はその大きな応接間のドアを開けた。

 都古は、あれほど緊張していたのに開け放たれたドアに飛び込みたい程だった。

 

 大好きなお兄ちゃんが、そこにいる。
 少しでも早く、その姿を見たかったからだ。

 

 都古は目を閉じ、一つ呼吸して気持ちを落ち着けると、ドアをくぐった。
 真っ先に口から出ていたのは、再会の喜びに満ちあふれている元気なそれ……の筈だった。


「お兄……ちゃん……?」