「志貴君、忘れ物はない?」 玄関先で、朱鷺恵さんはちょっとだけ心配そうに俺を見た。 「大丈夫ですって。もともと荷物は少なかったんですから」 俺は靴をつっかけながら、振り返って笑った。 今日は、この部屋から屋敷に帰る日。 「うん、分かった」 朱鷺恵さんが頷くと、ちょっとだけしんみりしそうになった。 「そうだ、これ……」 俺は手を探り入れると、部屋の合い鍵を朱鷺恵さんに差し出していた。 「殆ど使わなかったけど。ありがとうございました、朱鷺恵さん」 なのに、朱鷺恵さんはそれを受け取ろうとはしない。 「……ううん。その鍵は、志貴君が持っていて」 そんな事まで言った。 「この部屋は、私の部屋だけど……志貴君の……志貴君の部屋でもあるから……」 その言葉に、今日までずっと一緒にいた日々が蘇ってきた。 あんなこともあったな。 今は、全てが思い出に変わっているけど。 「……いつでも、帰ってきてね……いつでも、待ってるから……」 少し悲壮さの漂う瞳で、朱鷺恵さんが俺を見つめていた。 俺は……俺は…… だけど…… 自分を ゆっくりと、体を離し、俺は一番の笑顔で答えた。 「また来ます、朱鷺恵さん」 そう。 朱鷺恵さんも、強くなったのかな 「……うんっ!」 涙をこらえて、頷いてくれるその笑顔が、一番綺麗だった。
「さて……と」 俺は駅のホームで、のんびりと包みを開く。 「中身は……ん?」 いつもと違って、簡単に捨てられるように紙パック。 「なんだろ……これ。デザートかな?」 何だか気になったから、それから先に開けてみる事にした。 「……えっ?」 それは、黒い小さな箱。 手紙を開くと、そこには朱鷺恵さんの言葉が並んでいた。
びっくりしちゃった?
箱を開くと、そこには…… ……まったく、あの人は。 それは、石も付いていないシンプルな指輪だけど。 「……ありがとう、朱鷺恵さん」 まだ熱い日差しが、俺を照りつける。
この夏、忘れられない夏。 熱い夏は、これからもずっと続いていくと思った。
(Fin)
|