皆既/月蝕

 

 


 ―――ふと、目が覚めた。

 少しだけ一人でいようと、この草原に来て横になっていたのだが、気付けば眠っていたらしい。最近の激務に体が疲れていたのだろう。
 寝ころんだまま、ふと見渡す。

 先程までは暗く陰鬱であった筈の草原が、青白く輝いている。

 


 困ったな……こうなるとは

 


 ふと、見たくないはずなのに空を見上げた。

 

 月

 

 空が近いとも錯覚してしまうほど、大きな月
 雲に遮られる事もなく、ただまあるいそれは地上を照らし続けている。

 

 ……

 

 俺は改めて仰向けになり、正面にその姿を映す。
 ぼうっと、眺めているだけなのに

 

 ……

 

 涙が、溢れてきた。

 

 

 志貴

 

 

 月を見ると、あいつの事を思い出してしまう。
 だから、月は見たくなかった。
 なのに、月から目が離せない。

 

 

 志貴!

 

 

 俺たちが愛し合った夜も、今夜のように明るかった。
 真っ白な月が真っ白なあいつの体を包み込んで、その姿を神々しいとも思った。

 なのに……

 夕日の中、あいつの最後の笑顔が酷く残酷で。
 ひとり見上げていた月の光が、いつの間にかきらいになっていた。

 

 

「……志貴?」

 気付けば、そこにはあの時のように先生が立っていた。
 大きなトランクを持って、俺を蹴飛ばそうとするように見下ろして。

「……お久しぶりです」

 俺は体を起こすと、涙を見せぬように先生に背を向けた。
 本当に久しぶりで、本当は凄く嬉しいはずなのに、俺のこころはそれを喜べない。
 喜ぶなんて、もう出来ないと思っている。

「隣、座っていいか?」

 先生は、俺の涙には何も追求せず、背を向ける俺の横に腰掛けた。

 

「……なぁ、志貴」

 どのくらいそうしていたか、先生は沈黙を破って声をかけてきた。

「妹さん、何も言わなかったのか?」

 その言葉には、正直驚いた。
 家族の事など鑑みそうにもない人から、家族についての言葉が出てくるなんて。
 それだけ、俺の事を心配してくれているのだろうか。

 でも、俺はゆっくりと首を振った。


「……もう、忘れました」

 

 

 俺は高校を卒業すると同時に、日本から旅立った。
 何処に行けばいいのか――そんなものは全く解らなかったけど、あそこにに居続けてはいけないと思っていた。

 この体が
 この眼が
 この心が

 身を投じろと命令する場所に、俺は向かっていった。

「兄さん……」

 旅立つ夜。
 秋葉は、涙は見せないが悲しい表情をしていた。

「どうしても、行ってしまうんですね……」

 

 8年もの間、俺を待ち続けた妹。
 やっと再会できたと思ったのに、僅か1年半でまた別れの時を迎えた。
 その心境、俺には痛いほど分かっているつもりだった。


 
「……すまない、秋葉」

 それでも、俺はそう言う事しかできなかった。

 俺の中から、抜け落ちてしまったもの。
 それを探しに行きたくて、俺は沢山の人を不幸にしてしまう。

 琥珀さんも、悲しそうに側にいた。
 翡翠は、自分の部屋から出てきていないらしい。

「私は……秋葉は、待っています。いつか兄さんが必ず帰ってきてくれると」

 もう帰ってくるわけがないのに、それを信じようとする秋葉。
 最後の言葉は、確かに俺の心を揺さぶったが、決心を変えるまでには至らない。
 一筋、秋葉の頬を流れる涙が美しかったが、思いを断ち切るようにして振り返り、歩き出していた。

 

 

 記憶に上書きされてしまった方が、俺には幸せかも知れない。
 だから、努めて忘れたと言い張るのだ。

「……そっか」

 先生は、分かってくれただろうか。

「確かにこの世界に身を置くなら、未練は無い方がいい」

 先生は、笑ったようだった。
 でも、多分それは悲しい笑顔。
 俺は、先生をも不幸にしてしまっているのだろうか。

「……君の判断は、間違っていない。こちらに身を置けば、いつか出会えるかも知れない」

 先生は、ふと苦笑した。

「……ええ。一人には会えました」

 

 シエル先輩。

 先輩と呼んでいたあの人は、俺が前も後ろも分からず訪れた街で、俺を優しく出迎えてくれた。
 まるで、俺がこうなる事を知っていたように。

「仕方ないですね、遠野君は」

 困ったような顔をした先輩だったが、その瞳がとても嬉しそうだったのを覚えている。

 

 

「もう一人は……」

 思い出すのは、あの純粋な笑顔。
 ありありと鮮明に浮かぶ、忘れる事の出来ないその姿。
 その姿を追い求めて、短いと分かっている人生をひたすらに走りまくる。

 俺の命はきっと人より短いから
 あいつはばかだから、すぐに俺の事なんて忘れちゃうから
 その前に、もう一度会いたかった。

 

「……後悔は、していないか? こんな世界に」

 先生は、訪ねる。
 しかし、答えははじめから一つだった。

「しているわけが……ありませんよ」

 こころにぽっかりと穴を開けたまま、気が触れるほどの退屈な毎日を過ごすより、これくらい毎日が騒がしい方がマシだ。
 つまらない現実よりも、信じられない物の怪を相手にしている方があいつに近づけるから。

「私は、君の人生を一度変えてしまった。だから、もう一度君を変えるような事はしたくない」

 先生はそう言って、少し寂しそうだった。

「そんなことはありません。先生がいなかったらこんな人生にはなってなかったんですから、感謝こそすれ恨みはしませんよ」

 俺は出来るだけ飄々と、感謝の意を述べた。

「……ありがとう。志貴が私の約束してくれた通りの人間になってくれて、私は嬉しいよ」

 

 先生はそう言うと、気配で立ち上がったのが分かる。
 漸く俺が振り返ると、トランクを持ち、俺を見下ろしていた。

 


「じゃあな」

 


 先生は、そう言うと歩き出す。

 先生は、またこれで俺の前からいなくなる。
 止める事はできないし、止める理由もない。

 

「……先生」

 でも、俺は先生を呼び止める。

「なに?」

 先生は、振り返らずに答えた。

 

「……また、会いましょう」

 

 また会えてしまう。
 そんな不確かな、でも確実な予感が、俺の中にはあった。

 先生は少しだけ驚いたようだったけど、こちらを振り向いて

「……そうだな、次こそはちゃんと笑ってくれよ」

 風が吹いて。
 気付けば、先生は俺の前から姿を消していた。

 

 

 

 もう一度見上げれば、月は地平線に沈もうとしていた。

 俺は去りゆく月を見つめた。

 

 

 月に願う。

 もう一度俺を、あいつの元へ導いてくれ。
 そうして、あの頃のように優しい光であいつの姿を包み込んで欲しい。

 


 月に願う。

 月なんて、月蝕で全て隠れてしまえばいい。
 そうすれば、月の光がない事に不思議がって、あいつがひょっこり現れるかも知れないのに。

 

 

 そして、今宵の月は消えた。

 

「――――さて」
 幕を閉じないように、俺ははっきりと目蓋を広げた。
 空は、黎明が近い。
 あの月が落ちて消え去っても、気付けばまた現れてくる。

 しかし、遠野志貴という命は、消えたら二度と戻ってはこない。
 だから、そうなる前に出会いたい誰かがいる。

「アルクェイド……」

 今夜、明け方になって初めてその名前を発した気がする。
 涙が、また溢れていた。

 

 あいつに会って、あの時の約束を守らせるまで
 遠野志貴にとっての長い物語は、決して終わる事はない。
 だからこうして卑屈にも生き続け、あいつだけを捜し求める。


 教会の人間が、神でないものに祈るとはなんたる皮肉か。
 最後にそう思いながら、俺は立ち上がっていた。

 

 

 

 天は高く。
 冴え凍える夜気に包まれて天を仰ぐ。

 

 

 

 なにもかも覚めていくユメに似て不確か。
 駆け抜けた時間は全て幻。
 カタチとなって残るコトはなく、鮮明に思い出すコトさえ儚い。
 それでも、あの月の面影だけは消える事はないと信じている。

 

 

――――それも、脆く。

 



 いつかは終わるコトを知っていても、かまわない。






 思い出は続いていく。
 その終わりでさえ、おそらくは幸福だろう。

――――月蝕は遠い。

 誰もが残された時間を、駆け抜けて、過ぎていく。

 

 

 

 

(後書き)

 ……もう、何とでも言ってください。
 これはどうしても書かずにいられませんでした。

 アルクェイドとのエンドが、「月姫」であるのなら
 僕の考えた「月蝕」はこうであると……

 ……ちなみに、ハモネプマスターことINSPiのファーストアルバム
「inspiritual voices」は、2002年06月26日にReleaseされました。
是非買って、「月に願う(original version)」を聞いてください。

「INSPi 公式HP」
http://www.hamonica.com/inspi/

 どうしてこんな事を言うのかというと、秘密です。秘密でも何でもないんですけどね……