おねーさまとお呼び
阿羅本 景
「おはよー、志貴ー」
寝ぼけ眼をこすって、志貴は目を覚まそうとする。まだ朝も早く、カーテンの隙間から差し込む朝の光も白く弱い。一体誰が朝から呼びかけているんだ?と思いながらも志貴はゆるゆると朝の目覚めの行動を開始しようとした。
それに、朝から脳天気な声がする。毎朝起こしに来る翡翠はこんなに朗らかな朝の挨拶はしない――黄昏時でも早朝でも、翡翠は静かな声で落ち着いて時を告げるのが常だった。
「コーヒー入ってるよー、志貴も起きて起きてー」
鈴を鳴らすようなソプラノの美声。ああ、アルクェイドか……と志貴は体を起こしながらゆっくりと血の巡らない頭で考えた。朝からこいつがいるということは、俺はもしかするとアルクェイドの部屋で寝込んでしまったのかも……などと志貴は考えていた。
だが、早朝のカーテン越しの光に映える光景は、明らかに……アルクェイドの豪華なフラットではなかった。重々しい彫刻の柱と年季の入った壁紙、ウォールナットの数えるほどしかない家具に机、そしてガレのシェードの入ったライトスタンド。
吸血鬼のくせに出窓から燦々と光が輝くアルクェイドの部屋とも対照的な、陰鬱でシンプルな部屋。間違いない、志貴の自室そのものだった。
志貴は手でうなじを擦りながら手をベッドの上に彷徨わせて眼鏡を探そうとする。明暗に関係なく死の線はロットリングで引いたような一様の線を部屋に奔放に描きつづけ、それをつい凝視してしまうと言いようもない頭痛と倦怠感に駆られる。
手を伸ばしても眼鏡に触らない。咄嗟にそんな線の少ない方へを志貴は目を向けていって……
「おはよー、志貴。目が覚めた?」
Yシャツ一枚からすらりと伸びた長い足には、ほとんど死の線が走っていない。
いや、それよりも志貴にとって重要なのは、目の魔に白い脹ら脛がむき出しになっていることであり、その付け根はYシャツの裾に隠れているがきっと……
ゆるゆると首を上げて志貴はYシャツのボタンに目を走らせていって、最後には豊かな谷間が出来る胸元からくつろげられた襟元、そして肩にさらさらと金糸のように懸かる紙と、微笑むアルクェイドの顔が志貴の目に映る。
アルクェイドはYシャツ1枚で、両手にマグカップを持ってスリッパ掛けで立っていた。
それも、志貴の部屋の中で――
志貴が出来る事と言えば、なおも手で眼鏡を探しながらも顔をアルクェイドに向け、呆然とした表情を作ってみせるだけであり、「おはよう」と朗らかに挨拶するような余裕など欠片も持ち合わせていなかった。
ようやく眼鏡を探り当てた志貴は、それを掛けながらアルクェイドに向かう。アルクェイドの差し出すカップに手を伸ばす。
「はい、これ。レギュラーだけど志貴はいいかな?」
「うん、アルクェイド……で」
ようやく志貴は言語中枢に血液が通い始めたらしく、たどたどしく口を開いた。
湯気の立つ大振りのマグカップを顎元に当て、その焙煎の香気を鼻に当ててなんとか目を覚まそうとしながら、志貴が口にした言葉と言えば……
「……で、なにがどうなってるんだ?」
「へ?分からないの?志貴?」
茫洋とした疑問を口にする志貴に、きょとんとした顔でアルクェイドが答える。
アルクェイドはぺたぺたとスリッパを鳴らしてベッドまで来ると、ぽすんと腰を下ろす。微かにマットレスのスプリングが鳴る中、目線の高さを合わせたアルクェイドがじーっと志貴を覗き込む。
紅鋼玉の瞳に覗き込まれながらも、志貴はただ目をぱちくりさせ、マグカップを傾けるだけだった。苦み走った薫りの高い珈琲を流し込みながら、アルクェイドの言葉を待っていた。
だが返ってくる答えがないのにしびれを切らして、志貴はもぞもぞと口を開く。
「……いや、何で俺の部屋にお前がいるのかって、それも……」
志貴の指が、アルクェイドの胸元を指す。
「なんで俺のYシャツ着ているか?というのもあるし」
「あー、ひっどいんだー志貴。あんなに散々昨晩入れたり出したり懸けたり舐めたりしたのにー、そんなことを白々言うだなんて」
「い……入れたり出したり?」
ぷーと頬を膨らませたアルクェイドの言葉に、志貴は思わずマグカップを取り落としそうになる。半分ほどに減った珈琲の黒い液面が、慌ただしげにカップの中で踊る。
口を開けて驚く志貴に、アルクェイドのジト目が下から突き刺さる。
「……ほんとーに憶えてないの?志貴?」
「いや、俺、昨日そのお前と……したのか?」
「したよー、もう、お風呂入らせてっていっても志貴ったら怖い顔して私を押しつけてー、もう、どうしたか思っちゃうほど大変だったんだから」
その優雅な口元を曲げて拗ねるように振る舞うアルクェイドに、志貴は呆気にとられて正体がない様であったが、そんな志貴にアルクェイドの追い打ちが懸かる。
いや、その、あのと歯切れの悪追い言葉ばかりが浮かぶ志貴に恨めしそうな瞳が向くと――
志貴の頭の中で、おぼろげな官能の記憶が蘇る。
それは次第に明確な形を取ってくる。昨夜、夜這いを掛けてきたアルクェイドの瞳を覗き込んでしまった。金の光が身体を燃やし尽くしそうになり、そのまま一も二もなくアルクェイドを押し倒すと――
だってアレは、お前が仕掛けたんじゃないのか?とは口に出せない志貴であった。
だが、そんな情交の内容よりもアルクェイドが興味を持っているのはその後のことであった。何とも言えない困っていながらもにやけたような表情の志貴に、アルクェイドは不思議と嬉しそうに説明を続ける。
「もう、スカートも下着もどろどろだったから、洗い場に預けてきて」
「お、おう、それは悪かった……」
「裸で出歩くのも何だったから、志貴のYシャツ借りたの。似合うかな?」
アルクェイドは指先でYシャツの袖口を軽く摘んでみせる。アルクウェイドも背が大きい女性だったが、それでも男物の志貴のYシャツだと袖が余る。それを摘んでポーズを取る彼女に、志貴はあたふたと……
「に、似合うと……思う」
「そっかー、志貴はこういうのが好きなのね……じゃぁ、パジャマはこれからコレにすると、志貴は喜ぶかな?」
「………それはもう、裸Yシャツは漢のロマンだから」
何となく話題が逸れてきたので、冷や汗を流しながら志貴は相づちを打つ。
だが、そんな志貴の本心を見透かしたように、ふと口をつぐんでじーっと上目づかいで見つめるアルクェイド。志貴は空いた手をわたわたと振り回しながら、ぱっと指をアルクェイドの手にあるマグカップに指す。
「そう、この珈琲、お前が煎れたのか?」
「んー、残念ながら違うの。下のキッチンに行ったら、琥珀さんがいて」
ああ、琥珀さんが……と呟いた志貴だったが、すぐに顔色が変わる。
アルクェイドがキッチンに行って琥珀に会ったと言うことは、この愛人の朝の姿のようなアルクェイドの風体を目にした訳であり、すでにアルクェイドがいることは秘密でも何でもなく――
「なにか飲み物、といったら煎れてくれたよ。志貴の分も」
「…………」
「それに、妹ともすれ違ったけど」
「い、妹っておまえ!あ、あ、秋葉とも!」
ざざざー、と音でも立てるように顔色が青くなっていく志貴。琥珀ならまだしも秋葉との遭遇はあまりにもデンジャラスであった。なにが危ないのかというと、秋葉とアルクェイドが喧嘩するわけではなく、その鋭鋒が間違いなく志貴の方に向かって飛んでくるからであった。
だが、そんな志貴の危惧をよそにアルクェイドはからからと笑うと……
「なにか、私のことを上から下まで見て、その場で固まっちゃったみたいだけど」
「………そりゃお前」
自分の家の中を裸Yシャツのマグカップ二個もった金髪の女性が歩いていけば、それは凍り付きもするだろう。それもそれが兄の恋人であることは間違いなく、なおかつ朝っぱらであれば。
だが、それをいちいち口に出して説明することも出来ない志貴は、あうあうと口を踊らせて戸惑うばかりであった。
恐慌の中に突き落とされた志貴とは対照的に、アルクェイドはくーっとマグカップの中の珈琲を干すとトンとカップをサイドテーブルに置く。そして、ベッドの上に足を上げると……そのまま志貴の傍らの布団の中に足を差し込んだ。
え?と慌てる志貴の横でアルクェイドはするすると……
「じゃぁ、志貴も目を覚ましたみたいだから私はお休みー」
「な?なに?お前一体何を……」
「私は夜行性だから、いまからお休みなのー。それに、昨日は志貴があんなに張り切ってたからもう疲れちゃってー」
アルクェイドはYシャツのままでベッドの中に潜り込むと、ぽすっと頭を枕の上に横たえる。カーテン越しの光の中で柔らかく輝く髪を枕の上に舞わせながら、アルクェイドは布団を頭の上まで引き上げようとする。
「アルクェイド!ね、寝るんならここじゃなくて!」
「お休み、志貴。むにゃむに……」
軽く欠伸一つ漏らすと、アルクェイドの頭は布団の中に消えた。
光と外界を遮るように枕の上まで隠れ、身体を軽く曲げて布団の中で丸まっているアルクェイド。志貴はあわててマグカップを置くと、両手でアルクェイドを揺さぶる。
「おい!ここで寝るなぁ!」
「ベッドは寝るためにあるんだからねー、もー聞こえない聞こえなーい……むにゃむにゃ」
布団の中からくぐもったアルクェイドの声がする。
それを聞きながら志貴は愕然とした思いになっていた。この家の中にアルクェイドが入ると言うことだけでも秋葉はいい顔をしないが、朝の目覚めの時間に闖入者がいると翡翠に機嫌をも崩すだろう。そうなると琥珀も尻馬に乗って、志貴は布団の虫を抱えてこの遠野家の中で孤立する。
どうする――と思いながら志貴は慌ただしくベッドの降り、盛り上がったアルクェイド入りのベッドの腕を隠すモノがないかと探る。だが、飾り気が無いどころかモノがない志貴の部屋にはそんな都合のいい物が見つからず……
狼狽する志貴が小刻みに部屋の中を行ったり来たりする中。
コンコン、とドアがノックされる。
これ幸いとベッドの中に潜り込んで誤魔化す――そんな思考も過ぎらないではなかった。だが狼狽の極みにいる志貴が取った行動はと言えば……
「お、お、おはよう翡翠!」
裏返った声で挨拶を叫んでから、己の迂闊さに絶句する志貴であった。
だが、その動揺の淵に浮沈する志貴の挨拶に応えたのは――
「ご期待に添えなくて残念ですが、兄さん」
かちゃり、とドアの金具を鳴らして入ってきたのは――秋葉だった。
それも浅上の制服を一部の乱れもなく着こなし、まるで校長室に入ってくるかのよな端正な挙動で……寝間着スリッパのままで部屋の真ん中で立ち尽くす志貴とは対照的に。
志貴はきゅー、と喉が締められるかのような感覚に襲われながら叫ぶ。
「あ、あ、秋葉オハヨウ!」
「兄さん、朝からそんな鸚鵡か九官鳥みたいな声で喋らなくてもいいじゃないですか」
「失礼いたします、志貴さま」
秋葉に続いて部屋の中に姿を現したのは翡翠。翡翠は深くお辞儀した頭を上げながら、ちらりとベッドの上を見る。
秋葉は志貴ではなく、盛り上がったベッドを見つめている。
志貴は二人からベッドの上の視線を遮ろうかと思ったが、すでに遅すぎる事を知った。
秋葉は忌々しげに舌打ちすると、キッと眦をつり上げて志貴を睨む。それだけで血圧が下がり、寿命が数年失われるかのような一瞥であった。
「秋葉、その、朝からどうして」
「それはですね、兄さん。我が家に泥棒猫が土足で上がり込み、あまつさえ兄さんの部屋で居眠りを決め込んでいるからですわ」
秋葉はそう喋りながら、憎々しげな瞳をベッドに浴びせかける。略奪の力でベッドの上が凍り付き、粉砕されないかとも思える瞳。だが、浴びせかけられる侮蔑と殺意を布団で遮って
ベッドの上の膨らみは気持ちよさそうに呼吸で上下する。
秋葉と志貴の対峙を後目に志貴の身支度を整える翡翠。だが、何度も困ったような、それでいて恨むような瞳がベッドの上に注がれる。志貴はあからさまな敵意のある秋葉ではなく、翡翠に救いを求めるかのように……
「翡翠、その、今朝は済まない」
「……いえ。今朝はお早いお目覚めでなによりです、志貴さま」
なんとなく険のある翡翠の言葉に、志貴は頭を抱えそうになっていた。翡翠の特権である志貴の目覚めの時間の独占を破られたのだから、腹を立てているのか……と思うが、志貴にはただ謝るしかない。
そんな志貴と翡翠の様子を横目に、秋葉はずんずんと大股で部屋を横切る。
目指すは一直線に――志貴のベッドの上に。
志貴は仰天し、秋葉に飛び上がって叫ぶ。
「秋葉、な、なにを!」
「決まっています兄さん!遠野の主としてこの泥棒猫を追い出すまでです!」
秋葉はむんず、と布団を掴む。
そして、無遠慮にその布団を両腕で払いのけようとした瞬間――
「!」
布団の中から素早く腕が伸びる。
Yシャツの袖から覗く爪の長い白い手。間違いなくアルクェイドの手であった。
そしてそれは秋葉の袖を掴むと、目にも止まらぬ速度で――
「ごろにゃーん!」
「きゃぁぁ!」
腕一本取られただけなのに、まるで魔術の様に――秋葉の身体は布団の中に飲み込まれた。翡翠も志貴も止める間もなく、穴にでも吸い込まれるように秋葉は消え去った。
そして、二人分の身体を飲み込んで膨れ上がる布団の小山からは……
「なっなっなにをするんですか!貴女は!」
「さっきは散々泥棒猫どろぼーねこって言ってくれたわねー、妹ー」
もこもこと布団の中がせわしげに盛り上がり、動く。
くぐもってはいるが聞き取れる秋葉とアルクェイドの声を、ただ手をこまねいてい聞くしかない翡翠と志貴であった。
「だーかーらー、妹に仕返ししちゃうにゃーん」
「どっ、どこを触っているんですかっ、あっ、あっ、あああああ!」
「ぺらぺらー、妹の胸はぺったんこだねー」
その科白に赤面して俯いてしまう翡翠。
志貴も想わず頬を赤らめてしまう。布団の中ではきっとアルクェイドが秋葉を押し倒して……その光景を考えるだけで思わず滾って仕舞いかねないほどの。
「よ、余計なお世話よ!」
「つれないこと言わないでー妹ー、志貴が揉んでくれないから大きくならないの?」
「それとコレとは関係がありませんっ、ああっ、はぁぁあん!」
「ふっふっふー、私は志貴に揉まれてるからこんなに大きいんだよー」
妖しげに布団の上が蠢く。志貴にはこの布団で光景が遮られているのが恨めしかったが、部屋の隅で立ち尽くして俯く翡翠の手前、覗き込むような真似もできない。
やめろ、とも声の掛けられない志貴を知ってか知らずか、布団の中からは……
「だから私が揉んで大きくして上げるよー」
「やっ、そんな……そこは……やめて……離して、貴女っ!私は学校に行かなければいけないんです!だから……はぁぁん!」
「そんなこと知らないもーん、ほーれ、ふにふにー」
「やぁ……ふぅん……はぁぁぁん!」
秋葉の抵抗の言葉がだんだん薄れてきて、甘い吐息が漏れる。
なまじその光景が隠され、言葉だけが聞こえてくるのが淫靡ですらあった。裸Yシャツのアルクェイドに攻められるセーラ服の秋葉、という姿を想像するにとどまらず、こんな甘い嬌声を聞かされて、思わず前屈みになりそうな志貴。
そんな志貴がベッドの上を見つめておろおろしていると、後ろからくいくい、と袖を引く感触を憶えた。
慌てて振り返ると、傍らにまで進んできた翡翠が俯きながら袖を引いていた。
「翡翠……その……」
「志貴さま……あの……お二人をお止めになられた方が……」
「で、でも……どうする?」
志貴がつい尋ね返してしまうが、方策は翡翠にあるわけではなかった。
もちろん志貴にもない。だから二人とも寄り添いあって、困ったように絨毯の上に瞳を落として困り果てるばかりである。
「はぁん……やぁ……そこは……ふぅん……あっ、やだ……」
「ここかにゃー、ここかにゃー、うふふふふー」
布団の上のアルクェイドと秋葉は、どんどんエスカレートしていく。どこにそんなテクニックがあるのか、アルクェイドは秋葉の理性を溶かしてを喘がせ始めている。吐息と本能的な嬌声が漏れるばかりで、アルクェイドはそれをあおり立てるような言葉を口にしている。
布団の山の動きは、一定のリズムを描きながら……
「志貴、さま……」
「翡翠……」
きゅっと袖を握りしめた翡翠の指が、堅く志貴の手を手繰り寄せる。
まるでこのベッドから発せられる淫らな波動に翡翠はよってしまったかのような、赤い顔と短い呼吸。もちろん志貴もそんな翡翠の腕に手を回して……
「あら、翡翠ちゃん?どうしたの?」
そんなやるせない空気の中に、一陣の涼風が吹く。
それは、戸口からひょいと頭を中にのぞかせた琥珀だった。青いリボンを揺らしながら、琥珀は翡翠の方を見つめると――
「あれ?もしかして翡翠ちゃんといいところを邪魔しちゃいました?」
「あう、あ、琥珀さん、良いところにきた……秋葉とアルクェイドが」
ぱっと二人とも揃って手を離して跳ね退き、慌ててそっぽを向く。
翡翠は部屋の片隅まで飛び退いて小さく縮こまり、志貴も慌てた素振りでベッドの上に注意を逸らそうとする。琥珀は志貴と翡翠を眺めた後に、にやりと笑ってベッドの上を見つめる。
そこには、甘酸っぱい女性の声を立てて波打つ布団がある。
すでにそこから聞こえるのは、もはや快感の喘ぎ声を漏らすばかりとなった秋葉の声とアルクェイドのほのかに興奮した科白。
「妹の乳首……立ってきたよ……」
「やぁん……はぁ……そこは……は、はふん……はぁ……」
「……お取り込み中、と言うことですか。それにしても」
琥珀は実に興味深そうに腕を組んで頷いているが、志貴もそれに吊られて引きつった顔で頷きを繰り返している。喋る言葉がないと、秋葉の色っぽい声ばかりがくぐもって聞こえ、如何にも居心地が悪い。
「秋葉さまとアルクェイドさんというのは、珍しい組み合わせですね」
「そうかもしれないけども、その、どうする?これを……」
変にたどたどしい言葉で志貴は尋ねていた。志貴は引き離すよりもこの中に入り込んでいきたい様な衝動に駆られているし、翡翠は赤くなってすっかり萎縮しているので邪魔は出来ない。一縷の希望を込めて志貴は琥珀を眺めると――
「……とりあえず、お邪魔するのも無粋ですからねー。志貴さんも着替えて朝ご飯食べに来ませんか?」
「無粋って……琥珀さん」
あっけらかんと笑って言う琥珀に、志貴は唖然としてしまった。
お邪魔するのも無粋だから……というただそれだけの理由で、恋人が妹を押し倒して愛撫している光景を見過ごせというのか?と思う一方、止める術とてない志貴であった。
――わからない。
分からない以上は、明確な方針を示してくれる琥珀の提案に載るべきなのかも?と思う志貴でもあった。琥珀はそんな、曖昧に迷った志貴に軽く笑いながら話しかける。
「もしもですよ、志貴さん。もしベッドの上で翡翠ちゃんと私が絡み合っていたら」
「ね、姉さん!」
「こう、邪魔しちゃったら無粋きわまりないと思いますよねー。あ、志貴さんなら一緒にするのも大歓迎ですよ、私は」
袖をぱたぱたと舞わせてはしゃぐ素振りすら見せる琥珀と、とんでもないものの喩えに一瞬怒って見せたが、すぐに真っ赤になって黙り込んでしまう翡翠。そんな二人を前に志貴は困り果て、科白すらない有様だったが……
「そーゆーものなの?琥珀さん」
「そーゆーものなんですね、志貴さん。それに、お二人の仲もこれで仲睦まじくなれば世間で言うところの雨降って地固まるというところですねー」
はぁ、と気が抜けた返事を返す志貴。
二人ともこれで仲が良くなるのか――わからない。それは志貴の偽らざる感想であった。だが、ベッドの上に目を向けると、妖しい脈動はどんどん大きくなってきて……
「ふふふ……セーラー服って便利ねー、こういうときは……ほら」
「はっ、はぁぁぁ!ふぅぅぅん!はぁん……ひゃぁぁぁん」
「あは、濡れてるよ、妹のあそこ……こんなにうすっぺたでも感じるんだね、妹の胸」
「ふぅ……はぁん、はあぁぁ!感じるぅ、はぁぁぁん!」
――もはや出来上がっていて、なす術無し。
そう知ると志貴はがっくり肩を落とし、長く長く息を吐くと……
「じゃぁ、琥珀さん。朝ご飯の用意って終わってるの?」
「はい、今日は純和風に甘鮭の切り身と茄子のお味噌汁ですねー」
「翡翠……じゃ、朝の支度手伝ってくれ」
「わ、分かりました志貴さま。でも、その……」
翡翠はうつむき加減のまま、ちらっと淫語をまき散らすばかりとなったベッドの上をちらりと一瞥する。翡翠の目はベッドの上をなんとかしてほしいという願いがあったが――
ぽん、と琥珀の腕が翡翠の肩を撫でると、しみじみと琥珀が語りかける。
「翡翠ちゃん?」
「な、なんですか姉さん……」
「……ここで秋葉さまを引き離したら、欲求不満で襲われちゃうわよー」
ぶるり、と翡翠の身体が震えた。
そして、小刻みに震えながら志貴に向き直ると、深々と頭を下げる。上がった顔を見た志貴は、ひどく翡翠の目が真剣なのを認める。
「志貴さま、ご用意は出来ておりますのでこちらを」
「ああ、うん……ここは耳の毒だ、早めに退散しよう、なぁ翡翠」
「……畏まりました」
二人とも慌てて動き出し、その光景を琥珀はひどく満足げに頷きながら眺める。
慌てて学生服に着替える志貴主従と、ベッドの上で朝から百合の秘戯に耽っている秋葉とアルクウェイド。アルクェイドは眠たがっていたし、秋葉は学校があるんじゃないのか?と考える志貴でもあったが、今は一刻も早くこの部屋から逃げ出したかった。
「さて、行きましょう、翡翠ちゃん、志貴さま〜」
§ §
「おっはよー、志貴ー、それにメイドさん達ー」
「おう、アルクェイド。目が覚めたのか」
「運動しちゃったら目が覚めちゃってー。あ、琥珀さん、私もご飯あるかな?」
「はいはい、そういうと思ってましたよー、お待ち下さいね」
琥珀は微笑みながら厨房に消える。
志貴は湯呑みを片手に食堂で新聞を開き、その後ろに翡翠が控えていた。
アルクェイドはまたしてもYシャツ一枚の恰好であったが、恥ずかしがっていないので違和感が少ない。そしてその後ろには……
「……お早うございます、兄さん……」
「あー、お早う秋葉。それにしても……」
秋葉はアルクェイドの一歩後ろで、床を見つめてぼそぼそと喋る秋葉。
制服のプリーツが乱れて、皺が寄っている様子を見つめて志貴はこの尾羽打ち枯らした秋葉に、どういう言葉を掛けようかと一瞬迷う。だが、あの布団の仲の痴態を妄想すると自然に目の端と口が垂れ下がってきて……
「なぁ。秋葉……」
「………なんですか?兄さん」
「これから……アルクェイドのことを、お姉さまって呼ぶのかなーって……」
《おしまい》
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